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幽霊子育飴
〜京都:六道の辻〜


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幽霊子育飴



〜幽霊子育飴の伝説〜

 昔、六道の辻に一件の飴屋があった。

 ある夜のこと、表の戸をたたく音がするので主人が外へ声をかけると、かすかな声で「飴をいただきにまいりました」という返事があった。

 主人がさっそく戸を開けると、髪を長く垂らし、肩を落とした一人の女が立っていた。

 そして、主人が茶碗にもった水飴を渡すと、女は三文をおいて立ち去っていった。

 明くる日、主人が銭箱を見ると、昨晩の女からもらった三文が木の葉三枚に変わっていたという。

 その夜、昨晩の女が再び現れ、やはり水飴を買っていった。

 女が置いていった三文はやはり木の葉の三文だった。



幽霊子育飴



 こういう日が五日も六日も続き、ついに主人は寝込んでしまった。

 それを聞きつけた近所の若者たちが飴屋で女の来るのを待ち、あとをつけると、女は京の都の墓場といわれた鳥辺野へと入り、ふっと姿を消した。

 その事を寺の和尚に聞かせると、10日程前に若い女を葬ったという。

 そして、その墓を確かめに行くと、若い女の死骸の上で水飴を嘗めながら泣いている赤ん坊がいた。

 この赤ん坊は女が死んだあとに生まれたため、女は赤ん坊のために夜毎水飴を買いに出掛けていたのだという。

 その後、赤ん坊は和尚に預けられ高僧になったといい、飴屋は「幽霊飴」と呼ばれ大繁盛したのだとか。



 幽霊子育飴は、西福寺の辻向かいにある「みなとや」さんで今も売られています(写真の店)。

 鎌倉の松源寺(廃寺)にも同じような伝説が残されています。



幽霊子育飴










〜六道の辻〜


六道の辻
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六道珍皇寺
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 六道の辻は、鳥辺野(とりべの)という葬送地の入口。

 六道珍皇寺は、あの世とこの世の境目に建つという寺。



京都:六波羅蜜寺
リンクボタン六波羅蜜寺
西福寺
リンクボタン西福寺


 平安時代は「風葬」が一般的だったことから、疫病が流行った際には、この辺り一帯におびただしい数の死体が捨てられていた。

 その供養のために開かれたのが空也の西光寺(現在の六波羅蜜寺)。

 六道の辻地蔵尊(西福寺)には多くの石地蔵が置かれている。





(参考)
羅城門模型
リンクボタン羅城門

 羅城門は、かつて朱雀大路(平安京のメインストリート)の南端に建てられていた大門。

 北端には朱雀門、朱雀門を入ると平安宮(大内裏)があった。

 都が地震・竜巻・火災・疫病・飢饉などの影響で荒れていく中、羅城門は死体の捨て場となっていたのだという。


リンクボタン平安京の羅城門と芥川龍之介の羅生門〜死体の捨て場…〜





みなとや幽霊子育飴本舗

京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町80番地の1

京阪電車「東山五条」下車 徒歩20分 
京都市バス「清水道バス停」下車 徒歩5分




六道の辻










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