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千本ゑんま堂(せんぼんえんまどう)は、現世と冥途とを行き来して閻魔法王とも交流があったと伝えられる小野篁(802年ー853年)が建立したゑんま堂を始まりとする。 1017年(寛仁元年)、藤原道長の後援を得た比叡山の恵心僧都源信の門弟・定覚が光明山歓喜院引接寺として開山。 「引接」(いんじょう)は「浄土に往生させる」という意味。 本尊は閻魔法王。 |
千本ゑんま堂がある地は、かつて京都の三大埋葬地だった蓮台野の入口。 小野篁は、閻魔法王から先祖を再びこの世へ迎える「精霊迎えの法」を伝授され、その道場として「ゑんま堂」を建立したのだという。 |
化野念仏寺 |
六道珍皇寺 |
三大埋葬地の一つ化野には化野念仏寺、鳥辺野には六道珍皇寺がある。 |
小野篁は、六道珍皇寺の井戸から冥界へ行って(死の六道)、嵯峨にあったという福正寺の井戸から帰ってきたのだという(生の六道)。 清凉寺の塔頭薬師寺には、福正寺にあった小野篁の作と伝えられる生六道地蔵菩薩や小野篁像などが安置されている。 |
小野篁神社は、小野篁を祀る社。 小野氏は近江国滋賀郡小野村を本拠とした豪族で、篁は小野妹子の子孫。 |
8月7日から15日は「お精霊迎え」。 先祖の戒名を書いた水塔婆を流し、迎え鐘をついて、先祖の精霊をお迎えする。 8月16日は「お精霊送り」。 |
1386年(至徳3年)、夢の中で、あの世の紫式部の不遇な姿を見た円阿が建立したのだという。 円阿は紫式部の子孫らしい。 参考までに・・・ 平安時代、紫式部は、著書の『源氏物語』が世の風紀を乱したとして、地獄に落とされたという噂があったのだとか・・・ |
源氏供養〜地獄に落とされた紫式部の供養〜 |
紫式部が晩年を過ごしたという紫野には紫式部の墓が建てられている。 隣には小野篁の墓も。 地獄に落ちた紫式部を小野篁に救ってもらいたいという人々の気持ちから、篁の墓が紫式部の墓の横に移されたのだとか。 |
千本ゑんま堂のある地は、千本通蘆山寺上ル。 紫式部の邸宅跡とされる蘆山寺は、かつて船岡山の南麓にあった。 |
普賢象(ふげんぞう)は、オオシマザクラの突然変異で鎌倉で発見された桜。 室町時代に足利尊氏が御所の紫宸殿の庭に植えたという桐ヶ谷とともに京都に持ち込み、仁和寺辺りに植えたのだという。 三代将軍の足利義満は、後小松天皇を北山殿に招いた際、御小松天皇から千本ゑんま堂の桜を薦められ、境内に咲き誇る普賢象を観て感嘆したのだと伝えられている。 ただ、室町時代のものと現在のものが同じ品種かどうかは疑問があるのだという。 オオシマザクラが京都で変異した可能性もあるのだとか。 |
矢田地蔵尊は、小野篁と同じように閻魔大王と交流していたという満慶が彫らせたのだという。 |
京都市上京区千本通寺之内上る閻魔前町34 市バス「乾隆校前」下車。 |
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