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小野篁神社(おのたかむらじんじゃ)は、現世と冥界を行き来し、閻魔大王のもとで役人をしていたという平安時代初期の公卿・小野篁を祀る社。 本殿は1340年(暦応3年)の建立で重要文化財。 |
小野氏は、近江国滋賀郡小野村の豪族。 小野篁は、聖徳太子の命で「日出処天子、致書日没処天子、無恙哉」の国書を携えて隋に渡った小野妹子の子孫。 小野小町は、篁の息子・良真の娘といわれている。 |
玉章地蔵 (京都:退耕庵) |
小町神社 (厚木市) |
東福寺の塔頭退耕庵の玉章地蔵は、小野小町に贈られた恋文が納められているという地蔵尊。 境内には小野小町百歳井戸もある。 小町神社が建つ厚木市の小野の里は、小野小町の出生地だとする説がある。 近くには、延喜式内相模十三社の一つ一つで小野妹子を先祖とするという愛甲季隆が崇敬した小野神社もある。 |
小野小町の歌~百人一首:花の色はうつりにけりないたづらに~ |
小野篁神社は、小野氏の祖・米餅搗大使主命を祀る小野神社の末社。 |
京都の紫野にある紫式部の墓の横には小野篁の墓がある。 紫式部は、著作の『源氏物語』が世の風紀を乱したとして地獄に落とされたという噂があった。 そこで人々は紫式部を地獄から救うため、閻魔大王と交流していたという小野篁の墓を紫式部の墓の横に移したのだとか。 |
小野篁は、京都三大葬送地・鳥辺野の入口の六道珍皇寺の井戸から冥界へ行って(死の六道)、嵯峨にあったという福正寺の井戸から帰ってきたのだという(生の六道)。 六道珍皇寺の閻魔堂には、小野篁の作と伝えられる閻魔大王像や等身大の鬼を従えた小野篁像が安置されている。 清凉寺の塔頭薬師寺には、福正寺にあった小野篁の作と伝えられる生六道地蔵菩薩や小野篁像などが安置されている。 京都三大葬送地・・蓮台野の入口にあたる千本ゑんま堂は、小野篁が建てたゑんま堂を始まりとしている。 |
小野篁は紫式部の先祖・藤原高藤を閻魔大王に頼んで生き返らせたのだとか。 |
滋賀県大津市小野1961 JR湖西線「和邇」下車 徒歩20分 |
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