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説話集の『江談抄』によると・・・ ある夜、藤原高藤は朱雀門の前で、鬼や妖怪が群れ歩く「百鬼夜行」に遭遇。 仕組んだのは小野篁。 驚いた高藤だったが、衣服に「尊勝陀羅尼」が縫いこまれてあったので襲われずにすんだ。 篁はその事を知っていて、おもしろいもの見たさに高藤と百鬼夜行に引き合わせたのだとか・・・ 後日・・・ 恐ろしい目に遭わされた高藤は、仕返しに篁の牛車の簾を切るという事件を起こすのだが、その後、倒れて亡くなってしまう。 急死した高藤を蘇生させたのが篁。 現世と冥界を行き来していたという篁は、閻魔大王に頼んで高藤を生き返らせたのだとか・・・ |
勧修寺は藤原高藤の岳父・宮道弥益の邸宅跡に建てられた寺。 寺名は高藤の諡号から付けられた。 高藤と妻の列子は紫式部の先祖。 |
六道珍皇寺には、小野篁が冥界への行き来に使用したという井戸が残されている。 閻魔堂には小野篁の作と伝わる閻魔大王像や等身大の鬼を従えた小野篁像が安置されている。 |
小野篁は、六道珍皇寺の井戸から冥界へ行って(死の六道)、嵯峨にあったという福正寺の井戸から帰ってきたのだという(生の六道)。 清凉寺の塔頭薬師寺には、福正寺にあった小野篁の作と伝えられる生六道地蔵菩薩や小野篁像などが安置されている。 |
千本ゑんま堂は、小野篁が京都の三大葬送地・蓮台野の入口に建てたゑんま堂を始まりとしている。 |
小野篁神社は、篁を祀る社。 小野氏は近江国滋賀郡小野村を本拠とした豪族で、篁は小野妹子の子孫。 |
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