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藤原高藤(ふじわらのたかふじ)は、平安前期の公卿(藤原北家冬嗣流)。 『今昔物語集』によると・・・ ある時、南山科へ鷹狩に出かけた高藤は、突然の雨にあい、宮道弥益(みやじいやます)の屋敷で雨宿りをした。 弥益邸に一泊することとなった高藤は、弥益の娘・列子(れっし)に一目ぼれし、一夜の契りを結ぶ。 翌日、鷹狩から帰えると、心配して待っていた父・藤原良門に激怒され、鷹狩を禁じられてしまう。 高藤と列子は会うことも連絡をとることもできずに月日が流れた。 やがて父も亡くなり、6年後になって弥益の屋敷を訪れると・・・ 列子は高藤の子(女の子)を産んでいた。 心打たれた高藤は列子と結婚し、自分の屋敷に連れて帰ったのだとか・・・ この女の子が醍醐天皇の母となる胤子(いんし・たねこ)なのだという。 高藤と列子は『源氏物語』を著した紫式部の先祖。 左大臣源雅信の正妻藤原穆子、紫式部の夫藤原宣孝の先祖。 『源氏物語』に登場する光源氏と明石の君の恋の話は、身分の低い列子と貴公子・高藤の恋の話がモデルであるとされる。 |
藤原冬嗣 |
良門 |
高藤 |
定方 |
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勧修寺は藤原高藤の岳父・宮道弥益の邸宅跡に建てられた寺。 寺名は高藤の諡号から付けられた。 |
宮道列子の墓は、勧修寺の北に建てられている。 藤原高藤の墓は、勧修寺下ノ茶屋町の鍋岡山にあるらしい。 |
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