紫式部「光る君へ」


紫式部が生まれた
紫野


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 紫式部は、紫野(むらさきの)で生まれたと伝えられている。

 今宮神社大徳寺がある京都市北区の南部。

 紫野の名は、紫草(ムラサキ)の生えている野原だったことによるものといわれ、紫草の根(紫根)は高貴な人物のために栽培されていたのだという。

 紫式部の「紫」は、『源氏物語』が「紫の物語」とか「紫のゆかりの物語」などと呼ばれたことから付けられた名といわれるが、紫草に由来するともいわれる。



~紫式部の生年~

 紫式部の生年には、970年(天禄元年)や973年(天延元年)などの説がある。





大徳寺真珠庵
リンクボタン真珠庵

 大徳寺の塔頭真珠庵には「紫式部産湯の井」がある。





雲林院
リンクボタン雲林院

 雲林院は、淳和天皇の離宮・紫野院を始まりとする寺で、『源氏物語』~賢木の巻~に登場する。

 天台宗の官寺として栄えたが衰退し、鎌倉時代末には大徳寺の塔頭となった。





~円融院の子日の御遊~

 985年(寛和元年)2月13日、前年に花山天皇に譲位して上皇となった円融院は、紫野で盛大な「子日の御遊」を催している。


リンクボタン円融院の子日の御遊と円融院葬送の歌~藤原朝光・藤原行成・藤原実方~



船岡山
リンクボタン船岡山

 紫野は船岡山の麓。

 清少納言の父清原元輔は、

 「船岡に 若菜つみつつ 君がため 子の日の松の 千世をおくらむ」

 と詠んでいる。





賀茂斎院跡碑
リンクボタン賀茂斎院跡
(櫟谷七野神社)

 賀茂斎院は、賀茂神社(下鴨神社上賀茂神社)に奉仕した斎王の御所で紫野斎院とも呼ばれていた。

 『源氏物語』~朝顔の巻~に登場する朝顔の姫君は、賀茂神社に奉仕した斎王だった。

 葵の巻では、光源氏が斎王の御禊の儀に同行している。



葵祭


『源氏物語』葵の巻~葵の上と六条御息所の車争い~










今宮神社
リンクボタン今宮神社

 今宮神社は、疫病退散を祈って「紫野御霊会」 が営まれたことに始まる社。

 4月に行われる「やすらい祭」は紫野御霊会を起源とし、疫病の根源を疫社に封じ込める祭。

 若宮社には、歴代賀茂斎院(斎王)の御霊が祀られている。



リンクボタン紫式部の歌~朝顔の歌:疫病が流行する世の中を嘆く歌~





若宮八幡宮(紫野)
リンクボタン若宮八幡宮

 若宮八幡宮は、源頼光が屋敷内に石清水八幡宮を勧請して建てた鎮守社。

 頼光は、藤原道長の側近として活躍し、「朝家の守護」と称された。






玄武神社
リンクボタン玄武神社

 玄武神社は平安京北方の守護神。





紫式部の墓
リンクボタン紫式部の墓

 紫野には紫式部の墓もある。

 室町時代に成立した『源氏物語』の注釈書『河海抄』には、紫式部の墓所は雲林院白毫院の南と記されている。










紫式部


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