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消えぬまの 身をも知る知る 朝顔の 露とあらそふ 世を嘆くかな |
「すぐに萎んでしまう朝顔が、はかない朝露と競うような世の中を嘆かずにはいられない」 世の中が疫病で騒いでいる頃に、朝顔を貴人の所に献上するというので詠んだ歌。 紫式部が生きた正暦年間・長徳年間は疫病が大流行。 993年(正暦4年)、一条天皇が疱瘡(天然痘)に罹患。 995年(正暦6年)には、藤原道長の長兄道隆・次兄道兼が立て続けに病死。 1001年(長保3年)に亡くなった紫式部の夫藤原宣孝も疫病にかかったのだという。 この歌は、紫式部が疱瘡にかかった女性を励ますために詠んだものらしい。 朝顔を贈った貴人は、紫式部に一重山吹を贈ってきた人物と同じ。 |
紫式部の歌~一重山吹を贈ってもらったときの歌~ |
今宮神社は、994年(正暦5年)に都で疫病が流行った際に船岡山で「紫野御霊会」 を営んだことに始まる社。 1001年(長保3年)の疫病流行の際に現在地に遷された。 4月に行われる「やすらい祭」は紫野御霊会を起源とし、疫病の根源を疫社に封じ込める祭。 |
紫式部の邸跡に建てられた蘆山寺には、比叡山中興の祖と呼ばれる元三大師(慈恵大師良源)を祀る堂がある。 「角大師の札」は、疫病に苦しむ人々を救うため禅定に入り、骨ばかりになって鬼の姿になった良源を写しとったもの。 |
羅城門は、平安京のメインストリート・朱雀大路の南端に建てられていた大門。 北端には朱雀門、朱雀門を入ると平安宮(大内裏)があった。 都が地震・竜巻・火災・疫病・飢饉などの影響で荒れていく中、羅城門は死体の捨て場となっていたのだという。 |
平安京の羅城門と芥川龍之介の羅生門~死体の捨て場…~ |
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