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退耕庵は東福寺の塔頭。 本尊は千手観音。 1346年(貞和2年)、東福寺第三十四世性海霊見(しょうかいれいけん)によって創建された。 応仁の乱による戦火で荒廃したが、1599年(慶長4年)、安国寺恵瓊(第十一世)によって再興されている。 豊臣秀吉亡き後、客殿の茶室では、恵瓊、石田三成、宇喜多秀家らが関ヶ原の戦いの謀議を行ったという。 幕末の1868年(慶応4年)の鳥羽伏見の戦いでは、東福寺に長州藩の陣が置かれたことから、戦死者の菩提所にもなっている。 |
安国寺恵瓊は、安芸の安国寺で出家した後、京都の東福寺に入って竺雲恵心(じくうんえしん)の弟子となる。 1574年(天正2年)には安国寺住持、その後東福寺・南禅寺の住持となり、1599年(慶長4年)には建仁寺の再興にも尽力している。 1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは、石田三成に与して敗れ、六条河原で斬首された。 首は建仁寺に葬られたという。 |
地蔵堂の高さ2メートルの地蔵菩薩像は、「玉章地蔵」(たまづさじぞう)の名で知られ、平安時代の女流歌人で絶世の美女といわれた小野小町に贈られた恋文が納められているのだという。 小野小町が老後に作った像で「ふみはり地蔵」とも呼ばれている。 もとは、京都市東山区の渋谷(しぶたに)越えにあった小町寺にあった像で、1874年(明治7年)に移されたのだという。 |
地蔵堂の前にある井戸。 この井戸の水鏡に老いた自分の姿を見た小野小町は、「おもかげの 変わらでとしのつもれかしたとえこの身に限りあるとて」と詠んだという。 |
小野篁神社 (大津市) |
小町神社 (厚木市) |
小野氏は、近江国滋賀郡小野村の豪族。 小野小町は、小野篁の息子・良真の娘といわれ、篁を祀る小野篁神社は小野氏の祖を祀る小野神社の末社。 境内には小野小町の塔が建てられている。 小町神社が建つ厚木市の小野の里は、小野小町の出生地だとする説がある。 近くには延喜式内相模十三社の一つで小野妹子を先祖とするという愛甲季隆が崇敬した小野神社もある。 |
小野小町の歌〜百人一首:花の色はうつりにけりないたづらに〜 |
九条道家によって創建された東福寺は、奈良の東大寺と興福寺の「東」と「福」をとって寺名としている。 京都五山の第四位の格式を誇った寺。 |
京都市東山区本町15丁目778番地 JR東福寺駅から徒歩5分 |
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