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源氏供養は・・・ 『源氏物語』とその作者で地獄に堕ちたという紫式部、そして、『源氏物語』の読者を供養する法会。 |
紫式部の『源氏物語』は、平安時代の貴族社会の恋愛物語。 仏教では架空の物語を作るということは「嘘をついてはいけない」という五戒の一つ「不妄語戒」に当たるのだとか。 源氏供養は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて始められ、『源氏物語』を深く愛していた美福門院加賀などが紫式部の供養を行っているのだという。 美福門院加賀は、藤原定家の母。 |
『更級日記』の作者・菅原孝標の娘は、『源氏物語』を読みふけり登場人物の夕顔や浮舟のような人生を空想しながら暮らしていたが・・・ 夢の中に僧が現れ「法華経五の巻を早く覚えよ」と忠告されたのだとか。 その時はその気も起こらず、なおも『源氏物語』に憧れ続けていたが・・・ 年齢を重ねるにつれ非現実の世界から現実の世界へ呼び戻され、「何ともたわいないあきれたものだった」と自己批判している。 |
源氏供養で唱えられたのが「源氏一品経」や「源氏物語表白」(源氏供養表白)。 「源氏一品経」は、1168年(仁安3年)ころに安居院澄憲が作ったものとされ、大原三千院所蔵の『拾珠抄』(しゅうじゅしょう)に収められている。 「源氏物語表白」は鎌倉時代初期に澄憲の子・聖覚が作ったものと伝えられる。 能楽「源氏供養」では、石山寺を訪れた聖覚の前に紫式部が亡霊となって現れ、供養を頼んでいる。 |
※ | 表白とは、法会の際に導師がその趣旨を書いた文を仏前で読みあげること。 |
三千院 |
往生極楽院 |
『源氏物語』~夕霧の巻~で一条御息所と落葉宮が移り住んだ「小野の山荘」は、三千院付近だったともいわれる。 三千院の往生極楽院は、元は三千院とは別の寺院で、恵心僧都源信の創建と伝えられる。 源信は、『源氏物語』の「宇治十帖」に登場する横川の僧都のモデルといわれる。 |
石山寺 |
紫式部源氏の間 (石山寺) |
1004年(寛弘元年)8月15日、石山寺に参籠していた紫式部は、中秋の名月が琵琶湖に映る美しい景色を見て『源氏物語』を書き始めたのだという。 「源氏の間」は、本堂の相の間にある部屋。 最初に書いたのは「須磨」・「明石」の両巻だったらしい。 |
紫式部の墓 |
紫式部供養塔 (千本ゑんま堂) |
紫野にある紫式部の墓の横には小野篁の墓がある。 地獄に堕ちたと噂されていた紫式部を救うため、閻魔大王と交流していたという小野篁の墓を移してきたのだという。 千本ゑんま堂には、紫式部の子孫といわれる円阿が建てた供養塔がある。 |
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