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夕顔は、紫式部の『源氏物語』の登場人物。 主人公・光源氏の愛人。 前春宮(皇太子)の未亡人・六条御息所のところに通うようになっていた光源氏だが・・・ ある夏の日、六条へ行くには早いので、重い病気となっていた五条の大弐の乳母を見舞いに出かけると・・・ 白い夕顔の咲く家の女から和歌を贈られた。 「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」 この女が夕顔。 「寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔」 光源氏の返歌。 これをきっかけに夕顔のもとへ通うようになった光源氏は・・・ 仲秋の名月の頃、夕顔を寂れた某院に連れ出したのだが、夜半、女の物の怪が現れて夕顔は命を落としてしまう。 『源氏物語』では語られていないが、物の怪は六条御息所とも。 |
夕顔之墳の石碑は、夕顔の墓の場所を示すもので、石碑が建てられている屋敷には夕顔の墓があるのだという。 夕顔は、三位中将の娘で、頭中将の側室だったが、正妻の嫌がらせで行方不明になっていた。 光源氏と夕顔は、お互いに素性を隠していたため、光源氏が友人の頭中将の側室だったことを知ったのは、夕顔の死後のことだった・・・ |
夕顔・葵の上・紫の上は、鳥辺野で荼毘に付された。 |
光源氏が夕顔を連れ出した某院は、光源氏のモデルの一人とされる源融の邸宅・河原院がモデルといわれる。 融は、陸奥・出羽の按察使として陸奥国に下向したといわれる。 塩竃に別荘を構えた融は、そこから見える千賀ノ浦の景色をこよなく愛したのだとか。 帰京後、塩竈の景色を忘れることができない融は、邸宅の河原院に塩竈の風景を模した庭園を造営したのだという。 |
渉成園は、東本願寺の飛地境内地(河原院の一部)に造営された庭園。 園内には、源融の供養塔や塩釜と塩釜の手水鉢がある。 |
鹽竈神社 (塩竃市) |
融ヶ岡 (塩竃市) |
鹽竈神社は、陸奥国府があった多賀城の鬼門の位置に鎮座する陸奥国一宮。 源融の別荘は、鹽竈神社の南の融ヶ岡にあったのだという。 |
夕顔のモデルは、村上天皇の第七皇子・具平親王の妾妻・大顔という説がある。 ある秋、具平親王は大顔を連れては月を愛でるため遍照寺を訪ねるが、大顔は物の怪に襲われて命を落としてしまったのだという。 |
大顔が物の怪に襲われたのは、遍照寺の庭池・広沢池だった。 |
夕顔には頭中将との間に生まれた瑠璃君という娘がいた(のちの玉鬘)。 娘は夕顔の死を知らされぬまま筑紫へ下って美しく成長し、やがて上京。 大和国の長谷寺を参詣した際に、偶然にも夕顔の侍女だった右近に再会し、光源氏の六条院に引き取られる事となる。 |
玉鬘神社は、大和国長谷寺の地に2018年(平成30年)に創祀された神社で、玉鬘とともに夕顔とその侍女・右近が祀られている。 |
西国観音三十三所巡礼の根本道場の長谷寺には、紫式部・清少納言・赤染衛門・藤原道綱の母・菅原孝標の娘などが参詣している。 |
『更級日記』の作者・菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は、『源氏物語』に憧れ、登場人物の夕顔や浮舟のような人生を空想しながら娘時代を過ごしたのだという。 |
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