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玉鬘(たまかずら)は、紫式部の『源氏物語』の登場人物。 頭中将と夕顔の間に生まれた娘。 幼名は瑠璃君。 『源氏物語』の「玉鬘の巻」から「真木柱の巻」までの十帖は「玉鬘十帖」とも呼ばれる。 |
母の夕顔は光源氏と恋仲となり、一夜を過ごした某院で物の怪に襲われて命を落とした。 夕顔之墳の石碑は、夕顔の墓の場所を示すもの。 |
母の死後、玉鬘は母の死を知らされぬまま乳母に連れられて筑紫へ下ることに。 筑紫で美しく成長するが、土着の豪族大夫監から強引な求婚を受け、それから逃れるために上京。 しかし母の夕顔の行方はつかめず、御利益を得るために大和国の長谷寺を参詣。 その途上で偶然にも夕顔の侍女だった右近に再会する。 紫の上に仕えていた右近が光源氏に報告すると、玉鬘は花散里のいる六条院の夏の御殿に引き取られることに。 |
筑紫から帰った玉鬘が最初に参拝したのは石清水八幡宮。 |
長谷寺は西国観音三十三所巡礼の根本道場。 平安時代、貴族の信仰を集めた長谷寺には藤原道長が参詣。 紫式部・清少納言・赤染衛門・藤原道綱の母・菅原孝標の娘なども参詣している。 |
玉鬘神社は、大和国長谷寺の地に2018年(平成30年)に創祀された神社。 玉鬘とともに夕顔とその侍女・右近が祀られている。 |
六条院は、『源氏物語』の中で光源氏が六条京極に造営した邸宅。 |
六条院に迎え入れられた玉鬘は、髭黒・柏木などの公達から懸想文を贈られた。 光源氏の異母弟・兵部卿宮からも。 初夏のある日、兵部卿宮が玉鬘を訪れると、光源氏は部屋にたくさんの蛍を放ち、玉鬘の姿を浮かび上がらせた。 その美しさに、兵部卿宮はさらに燃え上がる・・・ そのため、兵部卿宮は「蛍兵部卿宮」と呼ばれるようになった。 |
夏の終わり、玉鬘は父である内大臣の娘・近江の君の悪評を耳にする。 さらに、光源氏の長男・夕霧と自分の娘・雲居の雁の仲を許すことができない内大臣。 玉鬘は父との対面の困難さ思い嘆くが・・・ その一方で光源氏を慕うようになる。 初秋の夕暮れ、玉鬘は琴を枕に光源氏に添い寝し、光源氏は庭に焚かせた篝火にたとえて、玉鬘への恋心を歌に詠んでいる。 「篝火にたちそふ恋の煙こそ世には絶えせぬほのほなりけれ」(光源氏) 「行く方なき空に消ちてよ篝火のたよりにたぐふ煙とならば」(玉鬘) そして12月。 冷泉帝の大原野への行幸が行われ、光源氏から入内を勧められていた玉鬘は冷泉帝の美しさに目を奪われる。 2月、裳着の儀式が行われ、光源氏から裳着の腰結役を頼まれていた父の内大臣と対面。 |
※ | 冷泉帝は光源氏と藤壺との間に生まれた子で光源氏にそっくりだった。 |
大原野神社は、春日大社を勧請して創建された社。 藤原氏は女子が中宮や皇后になると行列を整えて参拝することを通例としていた。 藤原道長の娘で一条天皇の中宮となった藤原彰子の行列は、目がくらむほどきらびやかで美しいものだったと伝えられている。 |
裳着の儀がすみ、10月に冷泉帝への入内が決まっていた玉鬘だが・・・気が進まない・・・ 光源氏は、夕霧を使いに出して、藤袴の花を差し入れ、秘めた思いを伝えるが・・・ 出仕が決まった玉鬘のもとには、蛍兵部卿宮や髭黒大将などの求婚者からの文が届く。 玉鬘が和歌を返したのは蛍兵部卿宮だったが、玉鬘を得たのは強引に契を交わした髭黒大将だった。 翌春、玉鬘は参内するが、髭黒大将に強引に自邸へと連れていかれてしまう。 その後、髭黒大将との間には、男児(侍従の君)、大君(冷泉院女御)、中君(今上帝尚侍)が誕生した。 |
物語の世界の話だが、京都ホテルオークラ辺りに髭黒・玉鬘邸(三条邸)があったのだという。 |
筑紫の君は、紫式部が姉君と呼び、手紙を交わしあった仲。 『源氏物語』には、玉鬘が下った筑紫が詳しく描かれているが、父の任官で肥前国に下向した筑紫の君からの情報があったのかもしれない。 |
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