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東本願寺は浄土真宗大谷派の本山。 正式名称は真宗本廟。 通称の「東本願寺」は、浄土真宗本願寺派本山の西本願寺と区別するために付けられた名。 開山は親鸞。 本尊は阿弥陀如来。 市民には「お東さん」の名で親しまれている。 中心的建物の御影堂は、高さ38メートル、幅76メートル。 内部は927畳の大広間となっている。 御影堂門は、知恩院の三門、南禅寺の三門とともに京都三大門の一つ。 |
本願寺は、1272年(文永9年)、京都東山に浄土真宗開祖の親鸞の廟堂(墓地)が創建されたことに始まる。 室町時代には近江・北陸・山科(山科本願寺)・大坂(石山本願寺)などを転々とし、1591年(天正19年)、十一世の顕如が豊臣秀吉より堀川六条に寺地を寄進された。 1602年(慶長7年)、顕如の長男・教如が徳川家康より烏丸七条に寺領が寄進されたことで本願寺は分立する。 教如は、顕如の長男。 しかし、秀吉の命により異母弟の准如が十二世に立てられた。 教団内部での対立がある中、家康は教如に寺領を与えて分裂させることで、本願寺勢力を弱体化させたという説がある。 参考までに・・・ 家康には、三河国の岡崎城を本拠としていた頃、本願寺教団の蜂起(三河一向一揆)に苦しめられた経験がある。 そして、家康に本願寺勢力の弱体化を献策したのは、三河一向一揆で家康の反旗を翻した本多正信だったのだという。 |
大谷本廟 |
西本願寺 |
本願寺は、大坂を拠点としていた時代には、周囲に堀や土塁が築かれた城郭として存在。 織田信長と対立した十一世の顕如は城郭に籠って10年もの間戦っている。 大坂城は、石山本願寺があった地に築かれた城。 |
渉成園は、飛地境内地。 紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルともいわれる源融の邸宅・河原院の一部に造営された庭園。 |
京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754番地 京都駅から徒歩5分 |
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