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知恩院は浄土宗の総本山(浄土宗は鎌倉新仏教の一つ。)。 1175年(承安5年)、浄土宗開祖の法然が東山吉水(よしみず)に草庵を結び、専修念仏の布教を行ったのがその始まり。 法然入寂後の1234年(文暦元年)、弟子の源智によって諸堂が建てられ、知恩院大谷寺となった。 「知恩」という名称は、弟子達が法然報恩のために行った「知恩講」に由来する。 知恩院の地位が確立するのは室町時代後期になってからのことで、江戸時代になって浄土宗に帰依した徳川家によって現在の大伽藍が築かれた。 本尊は法然上人像と阿弥陀如来像。 開基は法然。 |
三門 (日本一の大きさ: 国宝) |
御影堂 (国宝) |
阿弥陀堂 |
経蔵 (重要文化財) |
大鐘楼・梵鐘 (重要文化財) |
勢至堂 (重要文化財) |
法然上人御廟 (廟堂) |
濡髪大明神 |
千姫の墓 |
宝仏殿 |
納骨堂 |
黒門 |
方丈(重要文化財) 常在光院 (金沢貞顕が築いた庭園) 知恩院の七不思議 |
法然の弟子源智が、法然の一周忌に際して造立した「木造阿弥陀如来立像」の胎内には、1212年(建暦2年)12月24日の日付のある「造立願文」とともに、後白河法皇、後鳥羽上皇、平清盛、源頼朝など約46000人の姓名が記された「結縁交名帳」が納められていた。 この像は、滋賀県の玉桂寺(ぎょっけいじ・高野山真言宗)が所蔵していたが、2010年(平成22年)、浄土宗が有償で譲り受けた。 快慶の弟子筋の作と考えられ、国の重要文化財に指定されている。 |
金戒光明寺 |
百萬遍知恩寺 |
金戒光明寺のある黒谷は、比叡山を下った法然が最初に草庵を結んだ地。 百萬遍知恩寺は、法然が念仏を説いた地にあった寺。 後醍醐天皇より百萬遍の号が下賜された。 1523年(大永3年)、知恩寺二十五世・慶秀と知恩院二十五世・存牛との間で本寺争いとなったが知恩寺は敗れてしまったのだという。 |
粟生の光明寺は、法然が初めて「念仏」の教えを説いた地。 弟子の蓮生(熊谷直実)が建立した念仏三昧院が光明寺の始まり。 1227年(嘉禄3年)の延暦寺衆徒による嘉禄の法難では、法然の墓廟の遺骸が嵯峨の二尊院に遷され、さらに太秦の西光寺に遷されて石棺に納められた。 翌1228年(安貞2年)、粟生野に遷して荼毘に付したのだという。 |
1582年(天正10年)6月2日未明、本能寺で明智光秀の謀反により織田信長が横死(本能寺の変)。 堺に宿を取っていた徳川家康は、松平氏ゆかりの知恩院で自刃しようと考えたらしい。 しかし、家臣に説得されて、伊賀越えで三河国の岡崎城に帰還したのだという。 松平氏は、三河国松平郷を本拠とした松平親氏を祖とし、四代親忠の子・存牛は菩提寺の高月院を中興し、知恩院二十五世にもなっている。 家康は松平氏九代目。 |
京都市東山区林下町400 市バス206系統「知恩院前」下車徒歩5分 地下鉄東西線「東山」駅下車徒歩8分 |
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