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御廟は、法然の遺骨が奉安された廟堂。 1212年(建暦元年)1月25日に法然が入滅すると、門弟たちによって勢至堂の東に建てられた。 現在の御廟は、1613年(慶長18年)、常陸国土浦藩主松平伊豆守信一の寄進により改築されたもの。 廟堂の周囲には「雲に龍」「桐に鳳凰」「梅に鶯」「雲に麒麟」「松に鶴」「桜に鳥」「牡丹に鳳凰」など、桃山様式の華麗な彫刻が施されている。 御廟手前の拝殿は、1710年(宝永7年)に建て添えられたもの。 |
法然の弟子源智が、法然の一周忌に際して造立した「木造阿弥陀如来立像」の胎内には、1212年(建暦2年)12月24日の日付のある「造立願文」とともに、後白河法皇、後鳥羽上皇、平清盛、源頼朝など約46000人の姓名が記された「結縁交名帳」が納められていた。 この像は、滋賀県の玉桂寺(ぎょっけいじ・高野山真言宗)が所蔵していたが、2010年(平成22年)、浄土宗が有償で譲り受けた。 快慶の弟子筋の作と考えられ、国の重要文化財に指定されている。 |
法然入滅から15年が経った1227年(嘉禄3年)、比叡山の僧兵による浄土宗への弾圧から法然の遺骸を守るため、遺骨を御廟から嵯峨の二尊院へ遷し、さらに太秦の西光院へと遷した。 翌年には、粟生野の光明寺に遷されている(参考:光明寺の石棺)。 |
※ | 東山の法然廟所から嵯峨の二尊院へ遺骨が移された際、熊谷直実に出家を勧められたという宇都宮頼綱(蓮生)は、弟たちや六波羅の武士とともに護衛にあたっている。 |
徳川家康ゆかりの東京芝の増上寺には、法然廟の浄砂が贈られ、圓光大師堂に納められている。 |
知恩院は、法然が開いた浄土宗の総本山。 法然が草庵を結び専修念仏の布教をした所。 江戸時代には徳川家の庇護を受け、現在の大伽藍が完成された。 |
京都市東山区林下町400 市バス206系統「知恩院前」下車徒歩5分 地下鉄東西線「東山」駅下車徒歩8分 |
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