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高野山は、真言宗の開祖・空海(弘法大師)が京都の東寺とともに開いた天空の宗教都市。 金剛峯寺(こんごうぶじ)は高野山真言宗の総本山。 元来、総本山金剛峯寺という場合、高野山全体を指すらしい。 816年(弘仁7年)、嵯峨天皇から高野山の地を賜った空海は、山上に曼荼羅世界を現出しようとしたのだという。 その中心となったのが二重の結界がはられた壇上(壇場)で、空海が真っ先に造営に取り掛かった場所。 金剛峯寺の本堂である金堂や根本大塔などが建ち並んでいる。 2024年(令和6年)、壇上伽藍の堂宇群(2件11棟)が重要文化財となった。 |
一山の総本堂。 本尊は薬師如来(阿しゅく如来とも)。 現在の金堂は1932年(昭和7年)の再建(重文)。 重要行事のほとんどは金堂にて執り行われる。 |
日本最初の多宝塔。 現在の塔は1937年(昭和12年)の再建(重文)。 中尊に丈六の胎蔵大日如来坐像、その四方に阿?・宝生・阿弥陀・不空成就の四如来を安置する。 |
白い鐘楼の鐘は、東大寺・知恩院・方広寺に次いで大きな鐘であることから「高野四郎」と呼ばる。 |
伝説によると・・・ 空海は、修行を積んだ中国から帰国する際、密教法具の「三鈷杵」を東の空に投げた。 するとそれが高野山の松の木にひかかっていたのだとか。 以来、その松は三鈷の松と呼ばれている。 通常、松の葉は2本だが、三鈷の松の葉は3本。 現在の松は七代目。 |
平安中期になると身分の高い低いをとわず多くの者が高野山参詣を行うようになる。 その目的は、弘法大師の功徳利益を受けることと、死者の霊を鎮魂供養すること。 身分の高い者の参詣は、1023年(治安3年)の藤原道長が最初とされ、以後、摂関家・上皇の参詣が盛んに行われたのだという。 |
安達氏は、源頼朝に仕えた安達盛長を祖とする一族。 1219年(承久元年)、鎌倉幕府三代将軍の源実朝が暗殺されると二代景盛は出家して高野山に入った。 北条政子の発願で建立された金剛三昧院の伽藍整備に務め、子の義景・孫の泰盛も金剛三昧院の支援者となっている。 泰盛は、八代執権北条時宗の命により金剛三昧院に勧学院と勧修院の二院を造営。 高野山町石道には泰盛の建立した町石が現在も残されている。 |
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和歌山県伊都郡高野町高野山132 南海ケーブル高野山駅から南海りんかんバス「金剛峯寺前」下車 |
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