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知恩院の濡髪大明神の前にある巨大な墓塔は、徳川二代将軍秀忠の長女千姫の墓。 千姫の母は、織田信長の妹・お市の方の三女・崇源院。 1613年(慶長18年)、伯母の淀殿(崇源院の姉)が産んだ豊臣秀頼に嫁ぐが、1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で豊臣が敗れると徳川家康の命によ大坂城から救出された。 この時、秀頼の側室の子・奈阿姫が処刑されるに際し、千姫は奈阿姫を養女にすることで命を助けた。 淀殿の妹・常高院の助命嘆願もあったといわれ、助命された奈阿姫は天秀尼と号して鎌倉の東慶寺に入っている。 その後千姫は、姫路城主本多忠政の嫡男忠刻と再婚するが、忠刻の死により江戸へ帰り天樹院と号した。 1666年(寛文6年)2月6日死去。 葬儀は、小石川伝通院で行なわれ、墓所は伝通院と弘経寺(茨城県常総市)にあるが、徳川家ゆかりの知恩院にも分骨されたのだという。 |
鎌倉の東慶寺に入った奈阿姫(天秀尼)は、のちに二十世となり東慶寺を中興している。 |
東慶寺は、天秀尼の願いで徳川家康から縁切寺法を許可される寺となった。 |
女性を救った駆け込み寺〜鎌倉:東慶寺〜 |
満福寺も家康から認められた縁切寺・駆け込み寺だった。 千姫の侍女だった俊澄が中興したのだと伝えられる。 千姫自身が入寺したという説もある。 |
知恩院は、法然が開いた浄土宗の総本山。 法然が草庵を結び専修念仏の布教をした所。 江戸時代には徳川家の庇護を受け、現在の大伽藍が完成された。 |
京都市東山区林下町400 市バス206系統「知恩院前」下車徒歩5分 地下鉄東西線「東山」駅下車徒歩8分 |
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