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徳川二代将軍秀忠の正室・崇源院(お江)の墓。 崇源院は、織田信長の妹・お市の方と近江小谷城主・浅井長政との間に誕生した。 信長によって父長政が滅ぼされた後、母と二人の姉とともに信長に養われていたが、信長が本能寺で明智光秀に討たれた後(本能寺の変)、母・お市の方が柴田勝家と再婚したため、姉妹も越前北庄に移った。 勝家が豊臣秀吉に滅ぼされると、お市の方は勝家とともに自害したが、姉妹は秀吉に引き取られた。 その後、長姉の茶々(淀殿)は秀吉の側室に、次姉のお初(常高院)は京極高次の正室となった。 崇源院は、佐治一成と婚姻したが秀吉によって離縁させられ、秀吉の甥・羽柴秀勝と再婚するが死別。 徳川秀忠とは三度目の婚姻となった。 |
崇源院は秀忠との間に千姫、三代将軍となる家光など2男5女をもうけた。 1626年(寛永3年)9月15日、江戸城西の丸で死去(享年54歳)。 東京芝の増上寺に埋葬された。 法名は「崇源院殿昌譽和興仁C大禪定尼」。 金戒光明寺の宝篋印塔は、崇源院と三代将軍を争った春日局が建立したもので、崇源院の遺髪が納められているという。 |
浄土宗最初の寺院といわれる金戒光明寺。 幕末には京都守護で会津藩主の松平容保が本陣を置いた。 |
京都市左京区黒谷町121 JR京都駅から市バス 東天王町下車徒歩15分 岡崎道下車徒歩10分 |
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