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お市の方(おいちのかた)は、織田信長の妹。 1547年(天文16年)、尾張国の那古野城で生まれたとする説もあるが、前半生は不明。 1567年(永禄10年)ころに、近江国の戦国大名・浅井長政の継室となり、三女を産んだ(男子も産んでいるとする説もある。)。 しかし、長政と信長が対立し、1573年(天正元年)、信長に小谷城を攻められ、長政は自刃。 市は三人の娘とともに救出され、清州城に預けられた後、岐阜城に移ったのだという(諸説ある。)。 1582年(天正10年)6月2日、信長が本能寺で横死すると(本能寺の変)、羽柴秀吉との申し合わせもあって越前国北ノ庄の柴田勝家と再婚。 婚儀は岐阜城で行われたのだという。 その後、秀吉と勝家が織田家継嗣をめぐって対立。 1583年(天正13年)4月、勝家は賤ケ岳の戦いで秀吉に敗れて北ノ庄城に敗走。 市は勝家に城外へ退去するよう勧められたが、4月24日、勝家とともに自害した(享年37)。 |
北ノ庄城は柴田勝家が築いた城で、安土城にも匹敵する日本最大級の城だったのだという。 |
お市の方と柴田勝家は自害したが、お市の方の三人の娘は北ノ庄城を逃れて羽柴秀吉の保護を受けた。 のちに長女の茶々は秀吉の側室となって淀殿と呼ばれ、二女のお初は京極高次に嫁ぎ(常高院)、三女のお江は徳川秀忠に嫁いでいる(崇源院)。 |
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