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高月院(こうげついん)は、1367年(貞治6年・正平22年)、松平郷の主だった在原信重(松平信重)が創建した寂静寺を始まりとする。 信重は、戦国大名の松平氏の祖となる松平親氏の岳父。 先祖は美男の代名詞とされた在原業平なのだという。 開山は見誉寛立(けんよかんりゅう)。 寛立は三河国加茂郡足助荘を拠点にした足助重宗の子(重政)と伝えられ、1331年(元弘元年)に後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を企てた元弘の変に加わり、敗北すると知恩院に入って出家したのだという。 1377年(天授3年・永和3年)、松平親氏が伽藍を整備してから本松山高月院と称されるようになり、松平家の菩提寺となった。 本尊は阿弥陀如来。 宗派は浄土宗。 |
足助氏は尾張源氏の山田氏の一族で、祖となる足助重長(加茂重長)は、1181年(治承5年)の墨俣川の戦いで討死した山田重満の弟。 重長の娘・辻殿は、鎌倉幕府二代将軍源頼家の正室となり、三代将軍源実朝を暗殺する公暁を産んでいる。 |
中央が松平氏の始祖である親氏、右が二代泰親・左が四代親忠夫人の墓塔。 親忠夫人(閑照院)は、七代住持の存牛(そんぎゅう)の実母。 存牛は、高月院中興の祖といわれ、浄土宗総本山の知恩院二十五世となり、応仁の乱で荒廃していた知恩院を再興している。 親氏・泰親と並んで閑照院の墓塔があるのは、存牛が祀ったためと考えられている。 |
戦国大名の松平氏の祖となる松平親氏は、徳川氏発祥の地といわれる上野国新田荘から松平郷に流れ着いたのだという。 親氏から始まる松平宗家の九代目が元康(徳川家康)。 |
徳川家康は、松平宗家八代当主の松平広忠の嫡男として岡崎城で誕生。 幼名は竹千代。 8歳のときに駿河国の今川氏に人質に出された竹千代は、駿河国へ向かう途中で高月院を参拝したのだという。 高月院には竹千代の書と伝わる「花月一窓」の掛け軸が残されているのだという。 |
人質となった竹千代〜織田・今川の人質だった徳川家康〜 |
松平東照宮は、松平親氏が八幡宮を勧請したことに始まる社で、のちに徳川家康と親氏が合祀された。 |
大光院 (太田市) |
新田義重の墓 (太田市) |
大光院は、徳川家康が徳川の繁栄と祖と仰ぐ新田義重の追善のために創建した寺院。 |
世良田東照宮 (太田市) |
徳川東照宮 (太田市) |
世良田東照宮は、三代将軍徳川家光が上野徳川氏の菩提寺である長楽寺の境内に日光東照宮の旧社殿を移築して創建。 徳川東照宮は、徳川氏の祖とされる新田義季の館跡にある。 |
長楽寺 (太田市) |
新田義季が創建した長楽寺には、上野徳川氏累代の墓がある。 長楽寺は家康の側近天海が住持したことがある寺。 参考までに、天海の廟所・比叡山慈眼堂には、新田氏本宗家八代目の新田義貞の供養塔が建てられている。 |
愛知県豊田市松平町寒ケ入44 愛知環状鉄道・愛知環状鉄道線の「新豊田駅」から、とよたおいでんバス大沼行で「松平郷」下車。徒歩10分。 |
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