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大光院(だいこういん)は、1611年(慶長16年)に徳川家康が徳川の繁栄と新田義重の追善のために創建した浄土宗の寺院。 正式名称は、義重山大光院新田寺。 新田義重は徳川家康の先祖とされている。 開山は、増上寺の観智国師(慈昌)のもとで修行を積んだ呑龍。 本尊は阿弥陀如来。 本堂には、徳川家康と新田義重の位牌、徳川歴代将軍の位牌、新田義重像・徳川家康像・徳川秀忠像などが安置されている。 |
開山の呑龍が自ら彫刻したという尊像が安置されている。 |
大坂城が落城した日に建立されたので吉祥門と呼ぶらしい。 |
樹齢700年という巨木は、開山の呑龍お手植えなのだという。 |
呑龍が捨て子や貧しい家の子を弟子という名目で寺に受け入れ育てたことから、大光院は「子育て呑龍」・「呑龍様」と呼ばれて親しまれている。 1623年(元和9年)8月9日示寂。 |
新田義重は、河内源氏・源義国の嫡子で上野国新田荘を本拠とした武将。 徳川家康は義重の子孫といわれている。 |
長楽寺 |
徳川東照宮 |
上野国新田荘は徳川氏発祥の地とされる。 新田義重の四男義季が徳川郷を領して徳川を名乗ったことに始まるのだという。 長楽寺は義季が創建した寺院で、江戸時代には境内に世良田東照宮が創建された。 義季の館跡には徳川東照宮が建立されている。 |
徳川将軍家の菩提寺・増上寺を浄土宗の寺院に改宗し、寺名を改めた酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)は、新田義貞の娘が産んだのだと伝えられる。 |
群馬県太田市金山町37−8 |
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