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慈眼堂(じげんどう)は、1646年(正保3年)に建立された天海(慈眼大師)の廟所。 建物は国の重要文化財。 堂内には、重要文化財の木造慈眼大師坐像が祀られていたが、現在は延暦寺の国宝殿に移されている。 境内には、歴代天台座主の墓、桓武天皇の御骨塔・後陽成天皇供養塔・後水尾天皇供養塔・徳川家康供養塔・新田義貞供養塔・清少納言供養塔・紫式部供養塔・和泉式部供養塔がある。 |
天海は、織田信長に焼討ちされた比叡山の復興に努め、南禅寺の塔頭金地院の崇伝ととも徳川家康に仕え、黒衣の宰相と呼ばれた天台宗の僧。 1590年(天正18年)、豊臣秀吉の命により家康が関東に入ると、徳川氏発祥の地とされる上野国新田荘の長楽寺に住持。 1599年(慶長4年)、武蔵国河越の喜多院に住持。 1607年(慶長12年)、比叡山の南光坊に住持。 1613年(慶長18年)、日光山の座主に就任。 1616年(元和2年)、久能山に葬られた家康を日光山に改葬。 家康の死後は、三代将軍の徳川家光に仕え、1624年(寛永元年)に寛永寺を創建。 家光の後援を得て寛永寺で印刷された一切経は「天海版」とも呼ばれる。 残念ながら、天海はその完成を見ず1643年(寛永20年)に没した(108歳)。 |
長楽寺は、徳川氏の祖といわれる新田義季が創建した寺院。 |
喜多院は、比叡山延暦寺の第十八代貫主(天台座主)だった良源(慈恵大師・元三大師)を祀る寺院。 |
喜多院の慈眼堂は、徳川家光の命によって建てられた御影堂。 |
天海の寛永寺は、比叡山延暦寺をはじめとする京都周辺の寺社に見立てて設計されたものだった。 |
仁和寺の経蔵に納められている「一切経」は天海版。 天海版一切経の完成を見込んで経蔵が建てられたのではないかと考えられているらしい・・・ |
慈眼堂は歴代天台座主の墓所でもある。 墓所内には、桓武天皇の御骨塔・後陽成天皇供養塔・後水尾天皇供養塔・徳川家康供養塔・新田義貞供養塔・清少納言供養塔・紫式部供養塔・和泉式部供養塔も。 |
慈眼堂に隣接する滋賀院は、天台座主を勤めた法親王の居所だった寺院。 |
1616年(元和2年)4月17日、徳川家康が駿府城で死去し、遺言どおりに久能山に埋葬された。 その際に、家康の神号をどうするかが問題となり、崇伝と天海が対立。 崇伝は「明神」を主張し、天海は「権現」を主張したが・・・ 「明神」は豊臣秀吉の豊国大明神と同じとなり、豊臣家と同じ末路になるという天海の主張が受け入れられ、徳川秀忠の裁定により「権現」となったのだという。 翌年、朝廷から「東照大権現」の神号が授けられている。 |
久能山東照宮は、家康が埋葬された場所で、家康を祀る東照宮の創祀とされる。 |
日光東照宮の奥院には、改葬された家康の廟塔がある。 |
金地院東照宮は、崇伝が金地院に建立。 |
滋賀県大津市坂本4−6−1 湖西線「比叡山坂本駅」から徒歩20分 京阪石山坂本線「坂本比叡山口駅」から徒歩5分 |
延暦寺は天台宗の総本山。 |
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