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元三大師堂は、第18代天台座主・慈恵大師良源(元三大師)の住坊跡。 本尊は元三大師画像。 967年(康保4年)、村上天皇の勅命によって四季に法華経が論議されるようになってから「四季講堂」とも呼ばれるようになった。 慈恵大師が元三大師と通称されるのは、命日の正月の3日に由来する。 |
良源は、近江国浅井郡の出身。 12歳(15歳とも)で比叡山に上り、天台座主まで上り詰めた。 荒廃していた横川を藤原師輔の後援を得て再興。 最澄が創建した根本中堂を大堂として再建したのも良源。 そのため、延暦寺中興の祖と呼ばれる。 「慈恵」は朝廷から贈られた正式の諡号(おくりな)。 大師の号は付されなかったらしいが、平安時代末には大師と呼ばれていたのだという。 |
比叡山の横川は、第3代天台座主の円仁が建立した首楞厳院(しゅりょうごんいん)が発祥。 良源は、力量を見抜いてくれた師輔の父・忠平の冥福のために、横川の楞厳院に籠って300日間にわたる大護摩を修したのだという。 これが良源と横川との関係の始まり。 大護摩では、村上天皇に皇子が誕生することも祈祷していたのだという。 村上天皇の皇后は、横川再興を援助した師輔の娘・安子。 安子は、冷泉天皇・円融天皇を生んでいる。 |
旧恵雲院 |
鶏足院灌室 |
旧恵雲院と鶏足院灌室は、向かい合っていることから、「向い堂」とも呼ばれる。 |
疫病に苦しむ人々を救うため禅定に入り、骨ばかりになって鬼の姿になった良源を弟子の明普阿闍梨が写しとったもの。 その絵を見た良源は、お札(護符)にして配らせ病魔を退散させたのだと伝えられている。 お札は「角大師」(つのだいし)と呼ばれ、あらゆる病気の平癒と厄難の消除に御利益があることで、天台宗関東総本山の寛永寺や川越大師と呼ばれる喜多院などで授与され、全国的で崇められている。 深大寺には大師の自刻像が移されたのだと伝わる。 |
元三大師堂は、おみくじの発祥の地としても知られている。 現在のおみくじの形は、良源が考え出したものとされ、観音菩薩から授かった言葉が原点なのだという。 元三大師堂のおみくじは、自身で引くのではなく、悩み事を紙に記し、読経の後、僧侶によっておみくじが引かれ、それが読み解かれるというもの。 |
恵心堂(恵心院)は、良源の延暦寺中興を援助した藤原師輔の三男・藤原兼家(道長の父)が建立。 ここで、良源の弟子で恵心僧都と呼ばれた源信が修行をし『往生要集』を著したことから、浄土信仰発祥の地といわれる。 源信は、紫式部の『源氏物語』の最後の十帖「宇治十帖」(手習の巻)に登場する横川の僧都のモデルとも言われる。 |
廬山寺は、良源が船岡山の南麓に創建したことに始まる寺院。 紫式部の邸跡と考えられている。 所蔵する「慈恵大師自筆遺告」は、病となった良源が弟子の尋禅に後事を託した文書で国宝に指定されている。 尋禅は藤原師輔の十男(第19代天台座主)。 |
八坂庚申堂 |
日光東照宮 |
お猿のお寺といわれる京都の八坂庚申堂の三猿は「見ざる、言わざる、聞かざる」。 日光東照宮の三猿には「見させない、聞かせない、言わせない」という意味も。 三猿は、元三大師が詠んだという「七猿の歌」から生まれたとも・・・ |
庚申の日〜眠ってはならない夜 「庚申待」「守庚申」〜 清少納言の庚申の夜〜『枕草子』五月の御精進のほど〜 |
比叡山山内は東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)という地域があり、そこにある堂塔の総称を延暦寺という。 |
延暦寺は天台宗の総本山。 |
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