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喜多院は、比叡山延暦寺の第十八代貫主(天台座主)だった良源(慈恵大師・元三大師)を祀る寺院で、川越大師とも呼ばれている。 山号は星野山(せいやさん)。 830年(天長7年)、円仁(慈覚大師)が淳和天皇の命により、本尊に阿弥陀如来・脇侍に不動明王と毘沙門天を安置した無量寿寺を開創したことに始まる。 無量寿寺は、仏蔵院(北院)・仏地院(中院)・多聞院(南院)の三院からなる寺で、喜多院は仏蔵院を前身としている。 無量寿寺は、1205年(元久2年)の兵火で衰退するが、1296年(永仁4年)、伏見天皇の命により尊海が再興し、慈恵大師(元三大師)が祀られ関東天台宗の中心に置かれた。 しかし、1537年(天文6年)、後北条氏と扇谷上杉氏との戦火により炎上(参考:河越城(川越城))。 1599年(慶長4年)に徳川家康の側近だった天海が入寺し、川越藩主の酒井忠利が再興にあたり、北院と呼ばれていた仏蔵院を喜多院に改称。 1613年(慶長18年)には、徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められた。 1616年(元和2年)、駿府城の徳川家康が死去。 遺体は久能山に葬られ、翌年一周忌を経て日光の東照社(日光東照宮)に分霊された。 その際、喜多院では天海が大法要を営なみ、1633年(寛永10年)には、家康を祭神とする東照宮が建てられた。 1638年(寛永15年)の川越大火で山門を除く伽藍を焼失するが、徳川家光が川越藩主で老中だった堀田正盛を造営奉行として再建に着手。 江戸城紅葉山御殿の別殿が移築(現在の庫裏・書院・客殿)され、数年のうちに鐘楼門・多宝塔などの堂宇も再建された。 以後、徳川家に厚く保護され隆盛した。 |
※ | 無量寿寺を開いた円仁は天台座主(比叡山延暦寺貫主)となった高僧。 平泉の中尊寺・毛越寺、浅草の浅草寺も開いている。 |
※ | 徳川秀忠の関東天台法度により、喜多院の山号は東の比叡山という意味の「東叡山」とされたが、江戸に寛永寺が創建されると寛永寺の山号とされている。 |
山門 |
鐘楼門 |
慈眼堂 |
多宝塔 |
太子堂 |
大黒天 |
苦ぬき地蔵 |
中院 |
南院跡 |
中院は、1633年(寛永10年)、中院があった地に仙波東照宮が建てられたため移転。 南院は明治の初めに廃院となっている。 |
日枝神社 |
東照宮 |
日枝神社は、喜多院の鎮守社として日吉大社を勧請して建てられた社。 東照宮は、喜多院で大法要が行われた徳川家康を祀る社。 |
比叡山延暦寺の横川にある元三大師堂は、慈恵大師良源(元三大師)の住坊跡。 |
比叡山延暦寺の横川は、円仁(慈覚大師)が建立した首楞厳院(しゅりょうごんいん)が発祥。 横川中堂には慈覚大師作と伝わる観音像が安置されている。 |
寛永寺の根本中堂(本堂)は、喜多院の本地堂を移築したもの。 |
渋沢栄一は、1871年(明治4年)に喜多院を訪れて、古記録や古宝物を一覧しています。 1893年(明治26年)の川越大火では、義援金・現金・米・醤油など生活物資などを送っています。 |
川越市小仙波町1−20−1 東武東上線・JR川越線「川越駅」から徒歩約20分 東武東上線「川越市駅」から徒歩約18分 西武新宿線「本川越駅」から徒歩約15分 |
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