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江戸末期、武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)の農家に生まれた渋沢栄一。 一橋慶喜に仕えて武士(幕臣)となり、明治新政府では大蔵省で財政・金融制度などの立案に携わった。 退官後は実業家として、第一国立銀行・東京証券取引所をはじめとする多くの会社の設立やその経営に関わった。 また、社会公共事業、福祉・教育機関の支援と民間外交にも熱心に取り組み、数々の功績を残した。 |
旧渋沢邸は、1895年(明治28年)に渋沢栄一の妹夫妻が再建したもの。 |
富岡製糸場は、1872年(明治5年)に開業した日本初の本格的な器械製糸の工場。 設置主任に任命された渋沢栄一は、尾高惇忠・韮塚直次郎とともに設立に尽力した。 開業翌年には、宮中養蚕を復活させた昭憲皇太后が行啓している。 昭憲皇太后と養蚕 |
飛鳥山邸は、渋沢栄一が亡くなるまで過ごした本邸。 |
渋沢栄一の墓 |
徳川慶喜の墓 |
企業設立や社会事業に功績を残した渋沢栄一は、1931年(昭和6年)11月11日死去(享年92歳)。 墓所は谷中霊園。 谷中霊園には、渋沢栄一が仕えた徳川慶喜の墓もある。 |
寛永寺 |
浅草寺 |
徳川家ゆかりの寛永寺・浅草寺でそれぞれ檀家総代・信徒総代を務めた。 |
増上寺 |
皇女和宮宝塔 |
1909年(明治42年)に火災で焼失した増上寺の再建のため、1918年(大正7年)に設立された興勝会の副総裁となっている。 また、1926年(大正15年)には、皇女和宮(静寛院)の五十年祥忌法要に参列している。 |
喜多院 |
時の鐘 |
渋沢栄一の二番目の妻兼子の父は、川越出身の大富豪・伊藤八兵衛。 1871年(明治4年)に喜多院を訪れて、古記録や古宝物を一覧。 1893年(明治26年)の川越大火では、義援金・現金・米・醤油など生活物資などを送っている。 |
渋沢栄一が創建に関わった明治神宮は、2020年(令和2年)で創建100年。 |
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