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日本の宮中では、古くから養蚕が行われ、奈良時代の『日本書紀』にも養蚕の記述があるのだという。 1871年(明治4年)、その宮中養蚕を復活させたのが明治天皇の皇后(昭憲皇太后)。 皇后は、養蚕を復活させるにあたって、知識と経験のある者に聴取するよう沙汰したのだという。 その適任者に選ばれたのが渋沢栄一。 渋沢栄一は、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)の出身で、生家は養蚕や藍玉づくりとその販売をしていた農家だった。 皇后の相談役となった栄一は、宮中養蚕を実施するにあたって、上野国佐位郡島村(現在の伊勢崎市島村)で蚕種(蚕の卵)製造業を営んでいた田島武平を世話役として推薦。 武平は地域の女性四名を選んで奉仕させ、吹上御苑内での養蚕が始められた。 翌年からは、通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を大成した田島弥平が世話役となる(田島武平が本家で弥平は分家にあたる。)。 宮中での養蚕は、1873年(明治6年)に養蚕所が炎上したことで中断したが、1879年(明治12年)、青山御所に養蚕所が新設されて再開。 養蚕所は、田島弥平が設計したのだという。 その後、宮中養蚕は、戦災などによる一時的な中断はあったものの、貞明皇后(大正天皇妃)、香淳皇后(昭和天皇妃)、そして現在の皇后に引き継がれている。 |
1873年(明治6年)、皇后は英照皇太后(孝明天皇の女御)とともに下野国甘楽郡富岡(群馬県富岡市)の富岡製糸場を行啓。 |
富岡製糸場を行啓した皇后は、 「いと車とくもめくりて大御代の富をたすくる道ひらけつゝ」 と詠み「たくさんの糸車が速く回っている様子は、我が国の繁栄につながるだろう」という期待感が表したのだという。 |
1948年(昭和23年)6月5日、貞明皇后(大正天皇妃)は蚕糸・絹業関係の視察で田島弥平宅を行啓している。 |
旧渋沢邸 (深谷市) |
田島弥平旧宅 (伊勢原市) |
旧渋沢邸は、渋沢栄一が生まれた深谷市血洗島にある建物。 田島弥平旧宅は、2014年(平成26年)、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として世界遺産に登録されている。 |
富岡製糸場は、1872年(明治5年)に開業した日本初の本格的な器械製糸の工場。 設置主任に任命された渋沢栄一は、尾高惇忠・韮塚直次郎とともに設立に尽力した。 |
明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社。 |
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