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この銅像は、まだ渋沢栄一が存命中の1925年(大正14年)に、日本の福祉・医療の原点となった「養育院」に建てられたもの。 栄一本人も出席して除幕式が行われたのだという。 第二次世界大戦中には、この銅像も金属供出されることとなり、コンクリート製の代替像が建てられたようだが、交通事情や空襲などで供出作業ができないまま終戦となったのだという。 |
養育院は、明治維新後に急増したホームレスや病者、孤児などの窮民を収容保護するための施設で、病院、乳児院、孤児院、養老院などの機能を併せ持っていた。 1879年(明治12年)、初代院長に渋沢栄一が就任。 以後、栄一は亡くなるまで事業の発展に力を尽くした。 1999年(平成11年)、東京都養育院条例が廃止されたことにより、養育院の名称は消滅したが、養育院が行ってきた事業は東京都健康長寿医療センターに引き継がれている。 碑の「養育院本院」は渋沢栄一の墨蹟を刻んだもの。 |
渋沢栄一像 (深谷市) |
渋沢栄一像 (千代田区) |
東京都板橋区栄町35-2 東京都健康長寿医療センター |
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