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広沢池(ひろさわのいけ)は、989年(永祚元年)、寛朝僧正が 遍照寺を創建した際に造営した庭池。 そのため遍照寺池とも呼ばれる。 往時は、観音堂・月見堂・釣殿・潜龍亭などがあり、観月の名所だった。 |
広沢池の北岸に位置する標高167メートルの山。 寛朝僧正がこの山の麓に遍照寺を建立したことから遍照寺山と呼ばれる。 998年(長徳4年)6月12日に示寂した寛朝僧正は、山腹の老松から龍となり静かに昇天したのだとか。 |
広沢池の西岸に鎮座する兒神社は、寛朝僧正の死を嘆いて広沢池に身を投じた兒を祀る社。 |
ある日、遍照寺の寛朝のもとを訪れた安倍晴明は、若い僧に「蛙を殺してみてくれ」と言われ、広沢池の蛙に草の葉を投げて殺してみせたのだとか。 |
蛙を殺した安倍晴明〜遍照寺広沢池の伝説〜 |
大顔は、村上天皇の第七皇子・具平親王の妾妻。 具平親王とともにお忍びで遍照寺を訪れるが、広沢池の畔で物の怪に襲われて急死してしまったのだという。 紫式部の『源氏物語』で光源氏に恋をした夕顔は、大顔がモデルといわれる。 |
光源氏の愛人・夕顔は、連れ出された某院で物の怪が現れて亡くなっている。 夕顔之墳の石碑が建つ地には夕顔の墓がある。 |
源融 河原院址 |
渉成園 |
光源氏が夕顔を連れ出した某院は、光源氏のモデルの一人とされる源融の邸宅・河原院がモデルなのだという。 渉成園は、東本願寺の飛地境内地で、河原院の一部に造営された庭園。 |
京都府京都市右京区嵯峨広沢町 |
京都府京都市右京区嵯峨広沢西裏町14 山陰本線「嵯峨嵐山」下車 徒歩15分 |
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