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鎌倉桜(桐ヶ谷桜)は、材木座の桐ヶ谷が原産といわれる桜。 ソメイヨシノより少し遅れて開花します。 母種は伊豆大島から持ち込まれたオオシマザクラ。 オオシマザクラは成長が早く、薪として使用されたことから「薪桜」(たきぎざくら)とも呼ばれ、伊豆半島、三浦半島、房総半島などに自生するオオシマザクラは、薪にするために持ち込まれたものと言われています。 1232年(貞永元年)、鎌倉の材木座には和賀江嶋が築港され、多くの出船入船で賑わっていたそうです。 そんな材木座にもオオシマザクラが持ち込まれ、その増殖の過程で誕生したのが「桐ヶ谷」(きりがや)なのだとか(突然変異種)。 『新編相模国風土記稿』には・・・ 「世に桐谷と称する桜の一種あり。もと此地に産せしと云ふ」 とあるようです。 室町時代には、足利尊氏によって京都御所の紫宸殿の左近の桜として植えられ、仁和寺辺りにも植えられたのだと伝えられています。 開花期はソメイヨシノと同じ頃。 |
南北朝時代の公卿・洞院公賢の日記『園太暦』(えんたいりゃく)には、1357年(延文2年)3月19日、南庭に桜が植えられ、非常にすぐれた美しさで「鎌倉桜」という名であることが記録されているようです。
「今日南庭渡栽桜樹、殊絶美花也、号鎌倉云々」 南庭とは、京都御所の紫宸殿の庭。 紫宸殿南庭には、東に桜、西に橘が植えられ、左近の桜・右近の橘と呼ばれています。 『園太暦』に記録されている「鎌倉桜」が桐ヶ谷のようです。 |
紫式部の『源氏物語』〜花宴の巻〜では、紫宸殿の南殿の庭で桜の宴が催され、光源氏は「春鴬囀」を舞い、頭中将は「柳花苑」を舞っています。 |
通常、桜の花びらは5枚ですが、桐ヶ谷は5枚から8枚ほどの花が混生しています。 江戸時代、後水尾天皇は、この桜は八重なのか一重なのかを確かめるために御車を返したのだといいます。 また、御車を返してその美しさを楽しんだとも。 そのため京都では、「桐ヶ谷」を「御車返し」(みくるまがえし)と呼んでいるようです。 |
※ | 写真は大船フラワーセンターの桐ヶ谷。 |
極楽寺には北条時宗のお手植えと伝えられる古木があります。 近年、鶴岡八幡宮の源氏池畔・本覚寺・光明寺・鎌倉郵便局前に植樹されています。 |
鶴岡八幡宮 |
本覚寺 |
光明寺 |
鎌倉郵便局前 |
源頼朝が鎌倉の亀ヶ谷館(壽福寺)から移植させたという金王八幡宮の金王桜も八重と一重が混生する桜。 |
材木座の普賢山で生まれたという八重桜。 |
※ | 写真は大船フラワーセンターの普賢象。 |
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