![]() |
|
寿福寺(正式には「壽福寺」と書く。)は、1200年(正治2年)、源頼朝の妻北条政子の創建。 寿福寺のある亀ヶ谷の地には、頼朝の父義朝の亀ヶ谷館(鎌倉之楯)があったとされ、1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵をして鎌倉に入った頼朝は、当初この地に御所を置こうと考えたが、土地が狭く、亡き父の御堂(岡崎義実による造立)もあったことから大倉の地を選んだのだという。 亀ヶ谷は、奥州征伐に向かう八幡太郎義家(源義家)が勝利を祈願し、白旗を掲げたという源氏山が背後にあり、源家父祖伝来の地でもある。 開山の栄西は、日本に初めて臨済禅を伝えた僧で、宋から茶の種を持ち帰ったことで知られる。 栄西の茶の効用を記した『喫茶養生記』は、三代将軍源実朝に献上され、喫茶の儀礼が広まる契機となった。 宋の禅僧蘭渓道隆は、1248年(宝治2年)頃に寿福寺に仮寓し、常楽寺に移った後、建長寺を開いている。 源実朝、北条政子、高浜虚子、陸奥宗光、大佛次郎の墓がある。 |
![]() (十一面観世音) ![]() (木造地蔵菩薩立像) |
開山 | 栄西 |
開基 | 北条政子 |
本尊 | 宝冠釈迦如来 (籠釈迦) |
※ | 開山の栄西は、重源の跡を継いで奈良東大寺二代目の大勧進職に任じられている。 |
![]() ![]() |
![]() |
正式名称は、亀谷山壽福金剛禅寺 |
寿福寺は、鎌倉五山第三位。 創建当初の寿福寺は、天台・真言・禅の三宗兼学の寺院で、鎌倉で数多くの供養・修法の導師を勤めた栄西の行法も、ほとんどが密教的であったといわれている。 参考までに、源頼家が創建した京都建仁寺も栄西の開山で三宗兼学だった。 寿福寺が禅刹としての体裁を整えたのは、1278年(弘安元年)頃と考えられ、1323年(元亨3年)、円覚寺で行われた九代執権北条貞時の十三回忌供養には260人の僧が参列している。 |
五山の制度は、禅寺の格式を表すもの。 室町幕府三代将軍足利義満の時代に、京都の南禅寺が五山之上に置かれ、鎌倉五山と京都五山が決められた。 |
一位![]() |
二位![]() |
四位![]() |
五位![]() |
源頼朝の父義朝を弔う堂宇を造立した岡崎義実は、三浦義明の弟。 相模国岡崎(現在の平塚市岡崎)を領し、頼朝の挙兵にも従った。 石橋山の戦いでは、嫡男の義忠が討死している。 義実の死後、亀ヶ谷の土地は二男の土屋義清が所有したのだという。 『吾妻鏡』によると、義清は寿福寺の本願主で、和田合戦の際に鶴岡八幡宮の赤橋付近で討死し、寿福寺に葬られている。 |
![]() ![]() ![]() |
![]() |
![]() |
![]() (鎌倉市天然記念物) |
![]() |
![]() ![]() (開山栄西の茶書) |
![]() ![]() (開山栄西の木像) |
![]() ![]() (鶴岡八幡宮伝来) |
![]() ![]() (一本の木の仏像) |
![]() ![]() |
![]() |
![]() (あきる野市) |
筥崎博尹は明治の神仏分離後、鶴岡八幡宮の総神主となり、初代宮司となった人物。 あきる野市の新開院の薬師三尊像は、鶴岡八幡宮にあったもので、神仏分離令が出されると寿福寺に預けられ、後に移されたのだという。 |
![]() (東京渋谷区) |
![]() |
金王八幡宮は、源義朝に仕えた金王丸を社名とする神社。 境内の金王桜は源頼朝が亀ヶ谷館から移植したのだという。 金王丸は源義経を襲撃した土佐坊昌俊と同一人物とも。 |
『吾妻鏡』には、北条政子が源義朝の遺跡に寿福寺を建立しようとし、二階堂行光と三善康信(善信)が亀ヶ谷の地を巡検したことが記されている。 また、逗子の沼浜亭(義朝の館)を寿福寺に移して与えたことや、十六羅漢図開眼供養に参列したことも記されている。 こういったことから寿福寺は一般的に北条政子の開基とされている。 しかし、その一方で源頼家の廟所を載せた境内絵図なども発見されていて、頼家を開基とする説も有力なものとなっている。 さらに、寿福寺に残されている源実朝の位牌には、「当寺大檀那」の文字があるのだという。 |
![]() ![]() ![]() ![]() |
栄西は、宋から茶の種を持ち帰り、それを筑前の霊仙寺に蒔いて茶を栽培した。 のちに京都の建仁寺でも栽培したという。 栄西から茶の種を譲り受けた明恵は、栂尾高山寺で茶を育て、宇治で茶の栽培を行った。 これが「宇治茶」のはじまりとなる。 宇治萬福寺の門前には明恵の碑が建てられている。 また、京都東福寺の開山となった円爾は、宋から持ち帰った種を駿河に普及させたという。 円爾は栄西の高弟退耕行勇を師としていた。 |
![]() (日本最古の茶園) |
![]() (駒蹄影園碑) |
父の生死を知るため鎌倉に下った微妙(びみょう)。 父が亡くなっていることを知っると栄西の宿舎で出家したのだとか・・・ |
![]() |
![]() |
〜鎌倉十橋〜![]() |
〜鎌倉市文化財〜![]() |
寿福寺の背後は源氏山。 八幡太郎義家(源義家)が後三年の役の戦勝を祈願して源氏の白旗を掲げたことから「源氏山」と呼ばれるようになったという。 |
鎌倉市扇ガ谷1−17−7 0467(22)6607 鎌倉駅西口より徒歩10分 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|