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源義朝の旧跡に創建された寺
〜鎌倉:壽福寺〜

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壽福寺


 『吾妻鏡』によれば・・・

 1180年(治承4年)10月7日、源氏再興の挙兵を果たし、鎌倉に入った源頼朝は、亀谷の父義朝の旧跡を視察。

 この場所に御所を構えようと考えていた頼朝だったが、土地が狭く、岡崎義実が義朝の供養のために建てた草庵があったことからやめたのだという。

 頼朝の死後、北条政子は、その「亀谷の土地」を栄西に寄付。

 1200年(正治2年)閏2月13日、三善康信(善信)と二階堂行光の奉行によって、壽福寺建立の「造作始め」が行われた。


 参考:リンクボタン鎌倉と源氏



=十六羅漢像の開眼供養=

 1200年(正治2年)7月15日、壽福寺で「十六羅漢像」の開眼供養。

 「十六羅漢像」は、政子佐々木定綱に託して京都で描かせたもの。

 導師は栄西、政子も参列している。



=源義朝の沼浜亭を移築=

 1202年(建仁2年)2月29日、二階堂行光の奉行によって、義朝の沼浜の旧宅(沼浜亭)を鎌倉に移して壽福寺に寄附。

 頼朝は「沼浜亭」の壊れたところを修復し、しばらくは壊さぬよう決めていたのだというが、政子の夢の中に義朝が現れ・・・

 「沼浜亭を壊して寺の中に建ててほしい」 と告げたのだという。


法勝寺
リンクボタン法勝寺
(沼浜亭跡)



=壽福寺の開基は・・・?=

 『吾妻鏡』には、 北条政子が「亀谷の土地を栄西に寄附」し、「十六羅漢像の開眼供養」を行い、「義朝の沼浜亭を壽福寺に寄附した」と記されていることから、壽福寺の開基は政子とされているが・・・

 『壽福寺由緒書』には、「開基は頼朝公草創の本願にて頼家公創建」と記されているのだという。





金王八幡宮
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(東京渋谷区)
金王桜
リンクボタン金王桜

 金王八幡宮は、源義朝に仕えた金王丸を社名とする神社。

 境内の金王桜源頼朝が亀ヶ谷館から移植したのだという。

 金王丸は源義経を襲撃した土佐坊昌俊と同一人物とも。








歴史めぐり源頼朝




壽福寺
リンクボタン寿福寺

 寿福寺は、源義朝の旧跡に北条政子が創建したといわれる寺。
 開山は、我が国臨済宗の開祖で『喫茶養生記』で知られる栄西
 鎌倉五山の第三位。


鎌倉市扇ガ谷1−17−7

鎌倉駅西口より徒歩10分





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