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寿福寺裏山の「やぐら」内にある五輪塔。 源実朝のものと伝えられている。 源実朝の「やぐら」は、牡丹唐草の文様が彩色されていたため「唐草やぐら」とか、「えかきやぐら」と呼ばれていたのだという。 近くには、北条政子のものと伝えられている五輪塔もある。 |
寿福寺に伝えられている実朝の位牌には、「当寺大檀那大悲寺殿凾相公大禅定門」と記されているという。 この位牌の内容からすれば、寿福寺の開基は源実朝ということになる。 源実朝と壽福寺の退耕行勇 |
『吾妻鏡』によれば、三代将軍源実朝は、1219年(建保7年)、甥の公暁によって暗殺され、勝長寿院に葬られたが、首は公暁が持ち去ってしまいなかったことから、首の代わりに髪の毛が棺に納められたのだという。 ただ、秦野市では、暗殺された実朝の首は、三浦義村の家臣武常晴が拾い上げ、波多野氏を頼って葬ったと伝えられている。 そして、供養の導師には退耕行勇が招かれ、 木製の五輪塔(写真)が建てられたのだという。 源実朝の首と七騎谷の伝説 |
鎌倉国宝館に寄託されている源実朝のものと伝わる木製五輪塔。 |
鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場の東の鳥居付近に植えられた八重桜は、実朝の首が葬られたという秦野市から移植されたもの。 |
高野山の西室院にある源氏三代五輪塔は、実朝の異母兄貞暁が頼朝・頼家・実朝の菩提を弔うために建てたものと伝えられている。 |
四本龍寺(輪王寺)の三重塔は、実朝の菩提のために日光山二十四世の弁覚が創建したのだという。 |
和田合戦で活躍した日光山の弁覚〜源実朝の護持僧〜 謀反を企てて誅殺された畠山重忠の子・重慶 |
甲斐善光寺の源実朝像は、暗殺後に造られたもので、実朝像としては国内最古の彫像。 |
寿福寺は、源義朝の旧跡に北条政子が創建したといわれる寺。 開山は、我が国臨済宗の開祖で『喫茶養生記』で知られる栄西。 鎌倉五山の第三位。 |
鎌倉市扇ガ谷1−17−7 鎌倉駅西口より徒歩10分 |
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