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西室院にある三基の五輪塔は、源頼朝の三男貞暁が源氏三代(頼朝・頼家・実朝)の供養のために建てたものと伝えられている。 江戸時代の古絵図には、もう一つ北条政子の五輪塔も並んで建てられていたというが、現在は所在不明となっている。 貞暁の母は伊達朝宗の娘大進局。 1191年(建久2年)、北条政子の嫉妬が激しいため仁和寺に入れられ、1208年(承元2年)、北条義時の手が迫ったため、高野山一心院の行勝のもとに逃れたのだという。 『吾妻鏡』によると、貞暁が高野山に登った年の10月、北条政子は北条時房を供として熊野詣に出かけている。 政子の上洛について『吾妻鏡』は宿願を果たすためとしているが、貞暁の様子を窺うためだったとする説や誅殺するためだったとする説も。 1218年(建保6年)2月、政子が二度目の上洛。 その目的は実朝の後継に後鳥羽上皇の皇子頼仁親王を所望すること。 伝説によると・・・ この上洛で政子は、頼朝の血筋として将軍家を継ぐことができる貞暁の意思を確認したのだという。 高野山が女人禁制のため山麓の天野社(現・丹生都比売神社)で政子と面会した貞暁は・・・ 仁和寺に入室する際、頼朝から拝領した短刀で左目をえぐり出し武士に戻る意思がないことを示した。 以後、政子は貞暁に帰依するようになり、源氏一族の菩提を弔わせるための援助を行ったのだとか。 |
高野山の金剛三昧院は、北条政子の発願で源頼朝と源実朝の供養のために建てられた寺院。 |
高野山は空海が開いた天空の宗教都市。 高野山内は金剛峯寺の境内地で、元来、高野山と金剛峯寺は同じ意味。 |
和歌山県伊都郡高野町高野山697 南海ケーブル高野山駅から南海りんかんバス「一心口」下車 |
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