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四本龍寺の三重塔は、源実朝の護持僧だった二十四世弁覚(べんかく)が、1241年(仁治2年)に実朝の菩提のために創建したのだという。 弁覚は、小山氏の一族大方政家の六男。 延暦寺・園城寺で修行し、熊野や吉野で修験道を修めた後、1210年(承元4年)に日光山座主に就任し、光明院を創建して本坊とし、日光山の興隆に努めた。 源頼朝が父義朝の菩提を弔うために建立した鎌倉の勝長寿院の別当も兼ねていた。 『吾妻鑑』によると、1213年(建保元年)の和田義盛の反乱(和田合戦)に馳せ参じて褒賞されている。 同年、畠山重忠の末子重慶が日光山麓に籠もっているのを幕府に通報している。 四本龍寺は、開山の勝道が創建した輪王寺の前身となる寺。 |
和田合戦で活躍した日光山の弁覚〜源実朝の護持僧〜 謀反を企てて誅殺された畠山重忠の子・重慶 |
栃木県日光市山内2300 JR日光駅・東武日光駅から徒歩約30分 |
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