![]() |
|
源実朝のものと伝えられている五輪塔(鎌倉国宝館に寄託)。 実朝は、1219年(建保7年)に鶴岡八幡宮で公暁に暗殺され、その御首(みしるし)は、三浦義村の家臣・武常晴によって波多野の地に埋葬されたのだという。 供養には、壽福寺の退耕行勇(たいこうぎょうゆう)が招かれ、木造の五輪塔が建てられたのだと伝えられている。 |
![]() ![]() |
1250年(建長2年)、実朝の三十三回忌に金剛寺を再興した波多野忠綱は、木造の五輪塔を石造に建て替えたのだと伝えられている。 |
金剛寺は、実朝の首が埋葬されたことに始まると伝えられている寺院。 |
波多野氏は、平安時代末から鎌倉時代にかけて相模国波多野荘(現在の秦野市)を本領とした。 佐伯経範を祖とし、平将門の反乱を鎮めた藤原秀郷の後裔だといわれている。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|