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鶴岡八幡宮の境内中央付近を東西に走る流鏑馬馬場は、1187年(文治3年)の造営。 この年から鶴岡八幡宮では放生会が行われ、流鏑馬が奉納されるようになった。 9月の鶴岡八幡宮例大祭は、このときの放生会を起源としているという。 『吾妻鏡』によれば、1189年(文治5年)に源頼朝が母・由良御前の供養のために建てた五重塔は馬場本(東の鳥居付近)にあったのだとか・・・。 |
『吾妻鏡』に記されている「鎌倉往還」は、鎌倉を起点として放射状に延びる道で、『新編相模国風土記稿』には、小往還が7つあり、そのうち5つが鎌倉道と呼ばれ、鶴岡八幡宮への参詣道だったと記されている。 鏑馬馬場は、旧鎌倉道といわれ、鎌倉道の起点だったとも考えられている。 のちに鎌倉道は、鎌倉街道と呼ばれるようになり、その主要路は「上の道」、「中の道」、「下の道」と呼ばれる三道。 |
流鏑馬は、源頼朝が東大寺再建勧進のために鎌倉に立ち寄った西行に、弓馬のことを聞いたのがきっかけで始められたと伝えられている。 流鏑馬は、騎乗の射手が馬を走らせながら的を射る競技。 鶴岡八幡宮では、東の鳥居から西の鳥居にかけて三つの的が設けられる。 昔は、一から三までの的の当たり外れで、早稲、中稲、晩稲の出来を占ったのだという。 西行と流鏑馬 |
流鏑馬では、馬場に埒(らち・柵)が結ばれる。 「埒が明かない」という言葉があるが、これは京都三大祭のひとつ賀茂祭(葵祭)に先だって行われる上賀茂神社の競馬会から生まれた言葉なのだとか・・・ |
埒が明く・埒が明かない〜上賀茂神社の競馬会と埒〜 |
小笠原流 9月16日 (鶴岡八幡宮例大祭) |
武田流 4月第三日曜日 (鎌倉まつり) |
鶴岡八幡宮の放生会と流鏑馬 奥州を旅した西行と鎌倉 |
材木座海岸の沖から引き上げられた石と伝えられている。 |
静桜 |
実朝桜 |
流鏑馬馬場の傍らには、源義経の愛妾静御前の聖地の一つとされる福島県郡山市の「静桜」が・・・ その横には、源実朝の首が葬られたという秦野市から「実朝桜」が植樹されていたが・・・ 2022年、静桜は大石段横に、実朝桜は白旗神社前に移されている。 |
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 |
鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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