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鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場の西の鳥居付近に置かれている石は、由比ヶ浜海岸と材木座海岸の沖にあったもの。 1923年(大正12年)に起きた関東大震災で海底が隆起して現れた大石で、漁師の網が切られたり、泳いでいる子どもが引き込まれたりして魔の場所として知られていたらしい。 この厄介な石は青年団らの手で引き上げられ、鶴岡八幡宮に納められたらしい。 石の名は「よじべえいし」。 |
今は海水浴客で賑わう滑川の河口付近。 昭和のはじめ頃までは遊泳禁止になっていたのだという。 それは、河口の沖合に沈んでいた大きな石が激しい潮流の変化をもたらして、溺れる人が続出したため。 なぜ、そんな大きな石が沈んでいたのか・・・ 一説によると・・・ むかし、与次兵衛(よじべえ)という船頭が遠国から運んできて、和賀江嶋へ陸揚げしようとしたが、湊を目の前にして暴風雨に遭って沈没してしまったのだという。 そのため、海底に沈んだ大きな石は与次兵衛石(よじべえいし)と名付けられたのだとか・・・ |
滑川河口 |
海水浴場 |
与次兵衛石は鶴岡八幡宮の大鳥居の石材として運ばれたという説も。 鶴岡八幡宮の若宮大路にある三つ鳥居は、今は一の鳥居だけが石造鳥居だが、関東大震災が発生するまでは二の鳥居も三の鳥居も石造鳥居だった。 その石造鳥居の建立を願ったのは二代将軍徳川秀忠の妻崇源院。 あるとき、崇源院の夢の中に信仰していた鶴岡八幡宮の弁財天が現われて「備前国の石を使って木造の鳥居を石造とするように」というお告げがあったのだとか・・・。 与次兵衛石が鶴岡八幡宮の大鳥居の石材だったとすると、備前国の犬島から切りだされた石ということに・・・ |
※ | よしべえ石の伝説は、沢寿郎先生の「かまくらむかしばなし」より。 |
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 |
鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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