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源頼朝の母・由良御前は、熱田神宮大宮司藤原季範の娘として尾張国で誕生。 生誕日等の詳しいことは不明。 |
熱田神宮は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀った神社で、 113年(景行天皇43年)の創建と伝えられる。 大宮司職は、代々尾張氏(季範の母の実家)が務めていたが、尾張員職のときに外孫の季範に譲られた。 以後、藤原氏が大宮司職を世襲した。 |
由良御前は、久安年間頃に河内源氏の棟梁源義朝と結婚。 頼朝、希義、坊門姫を産んだ。 |
かつて誓願寺のある場所には、熱田神宮大宮司藤原季範の別邸があって、由良御前はこの場所で頼朝を出産したのだと伝えられている。 |
1159年(保元4年)3月1日、由良御前が死去。 それから9ヵ月後の平治元年12月、平治の乱が勃発。 13歳の頼朝も初陣を果たすが、義朝は平清盛に敗れてしまう。 義朝は尾張国野間で殺害され、頼朝は伊豆国流罪。 頼朝が伊豆国へ流される際、由良御前の弟・祐範は、郎従1人を付けて送り出し、その後も伊豆国の頼朝の元に毎月使者を送っていたのだという。 希義は、由良御前の兄(弟?)・範忠に捕えられ土佐国流罪。 坊門姫は後藤実基に預けられた。 |
のちに鎌倉幕府を開いた頼朝は、1189年(文治5年)3月、母の供養のため、鶴岡八幡宮に五重塔を建てている(参考:鶴岡八幡宮の五重塔)。 |
平治の乱後の頼朝は、池禅尼の助命嘆願によって伊豆国に流されたと伝えられるが、頼朝が仕えていた後白河院の同母姉上西門院や熱田大宮司家からの働きかけがあったのではないかという説がある。 |
常盤御前は、源義朝の側室。 源平合戦で活躍した源義経の母。 |
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