|
浄妙寺開山の退耕行勇は、真言宗を学び鶴岡八幡宮寺の供僧となるが、のちに我が国臨済宗の開祖・栄西について臨済宗を修めた。 源頼朝や北条政子も帰依した高僧で、重源・栄西の跡を継いで東大寺の第三代大勧進職にも任じられている。 1219年(承久元年)、高野山の金剛三昧院を開創。 1239年(延応元年)、鎌倉の壽福寺二世に。 勝長寿院・永福寺・大慈寺の別当も勤め、廃寺となった東勝寺の開山とも伝えられている。 1241年(仁治2年)、東勝寺で没した。 「木造退耕禅師坐像」(国重文)は、鎌倉時代のもので、本堂背後の開山堂に安置されている。 |
1219年(建保7年)、鶴岡八幡宮で暗殺された源実朝の首は、波多野の地に葬られたのだと伝えられ、供養には行勇が招かれたのだという。 |
高野山の金剛三昧院は、北条政子の発願で源頼朝と源実朝の供養のために建てられた寺院。 |
行勇は重源・栄西のあとを継ぎに東大寺第三代の大勧進となった。 1227年(安貞元年)には重源の念願だった東塔の再建を果たしている。 東大寺鎮守八幡宮の移転に関する「行勇の自筆書状」は国の重要文化財。 のちに京都五山第四位の東福寺を開き、東大寺大勧進となった円爾(えんに・聖一国師)は、行勇を師としていたという。 |
南都焼討と東大寺の再興〜重源と源頼朝〜 |
東大寺の復興:重源と鎌倉の禅僧栄西・行勇(okadoのブログ) |
浄妙寺は、足利氏の菩提寺として創建された。 室町時代には隣接地に鎌倉公方屋敷が構えられ、鎌倉五山に列せられるほど栄えた。 |
鎌倉市浄明寺3−8−31 0467(22)2818 鎌倉駅から金沢八景・大刀洗行・ハイランド循環バス 「浄明寺」下車徒歩1分 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|