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常楽寺(臨済宗建長寺派)は、三代執権北条泰時が、1237年(嘉禎3年)、妻の母の供養のために建てた「粟船御堂」を前身としている。 その供養は、源頼朝や北条政子が帰依した退耕行勇が導師を勤めた(宗旨は密教系であったといわれている。)。 1242年(仁治3年)に亡くなった北条泰時は、この地に葬られている。 のちに、五代執権北条時頼が、中国宋から来日し壽福寺に寓居していた蘭渓道隆を招き、禅の道場が開かれた。 道隆が建長寺を開く前に、この地で禅を広めていたので、常楽寺は「建長寺の根本」と称されている。 仏殿の雲龍の図は、狩野雪信作(参考:雲龍図)。 |
開山 | 蘭渓道隆(大覚禅師) |
開基 | 北条泰時 |
本尊 | 阿弥陀三尊 |
山門 (鎌倉市文化財) |
仏殿 (神奈川県文化財) |
北条泰時墓 |
文殊堂 (秘仏:文殊菩薩) |
木曽塚 (木曽義高の墓) |
姫宮塚 (参考:木曽塚) |
仏殿の右奥には禅宗庭園が広がり、池は、色天無熱池という。 色天無熱池には、蘭渓道隆につき従っていた乙護童子が、この池で道隆の衣類を洗濯し空中に投げると、まるで物干竿でもあるかのように宙に浮いたといわれている。 乙護童子は、江ノ島弁財天が道隆を守護するためにつけた給仕役。 建長寺塔頭妙高院には、乙護童子像が安置されている。 |
蘭渓道隆の給仕役である乙護童子は、江ノ島弁財天のイタズラによって美女に変身させられてしまった。 そうとは知らない童子は、道隆に仕えていたが、「道隆が美女をはべらせて寵愛している」という噂が広まってしまった。 一連の成り行きを知った童子は、身の潔白を示そうとして、白蛇と化し、仏殿前の銀杏の木を七廻り半めぐり、仏殿わきの色天無熱池を尾で叩いたのだという。 |
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鎌倉市大船5−8−29 0467(46)5735 大船駅又は北鎌倉駅から徒歩20分 |
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