|
鎌倉カーニバルや鎌倉ペンクラブで活躍した作家大佛次郎の茶亭。 大佛次郎は、1897年(明治30年)に横浜市で生まれ、1921年(大正10年)から鎌倉に住んだ。 茶亭は書斎として使用され、鎌倉文士の交流の場としても使用された。 1964年(昭和39年)に起こった「御谷騒動」では、大佛次郎をはじめとする著名人らが地元住民の運動に参加し、日本初のナショナルトラスト運動となった。 鎌倉風致保存会は、この茶亭を「保存建造物」に指定し、その保存を助成。 2009年(平成21年)3月2日には野尻邸(旧大佛次郎茶亭)として「鎌倉市景観重要建築物等」に指定された。 2019年(平成31年)、維持管理の関係で売却が決定され、2020年(令和2年)、一般社団法人大佛次郎文学保存会が継承している。 |
2024年秋の一般公開 |
愛用品の数々 |
茶亭内 |
大佛次郎は横浜に生まれ、東京帝国大学法学部を卒業後、鎌倉高等女学校(現鎌倉女学院高等学校)の教壇に立ち、外務省嘱託も務めた。 本名は野尻清彦。 長谷の大仏裏に住んだことから「大佛次郎」のペンネームが付いた。 |
『鞍馬天狗』『赤穂浪士』『ドレフェス事件』『ブウランジェ将軍の悲劇』『帰郷』『天皇の世紀』などの作品を遺している。 日本芸術院賞受賞の『帰郷』には、円覚寺塔頭佛日庵が描かれている。 1964年(昭和39年)には文化勲章を受章。 |
『帰郷』に描かれた佛日庵のハクモクレン。 烟足軒前の「枝垂れ桜」は、大佛次郎の妻から贈られたもの。 |
1964年(昭和39年)、鶴岡八幡宮の裏山「通称:御谷(おやつ)」が宅地開発されそうになった際、大佛は地元住民に協力して開発阻止の運動を起こした(古都としての景観と自然を守るための運動)。 運動は全国的な展開をみせ、その機運のなか財団法人鎌倉風致保存会が設立され、大佛もその発起人となり初代理事に就任した。 この運動がきっかけとなり、1966年(昭和41年)には超党派の議員立法により「古都保存法」が制定され、同年6月には鎌倉風致保存会が御谷山林(1.5ha)の買収に成功した。 |
現在、鎌倉風致保存会では、御谷のほか、笹目緑地(1.2ha)、十二所果樹園(5ha)を緑地保全のために所有している。 |
横浜の港の見える丘公園にある「大佛次郎記念館」は、遺族から蔵書や遺品の寄贈を受けて、1978年(昭和53年)5月1日に開館した。 |
鎌倉市雪ノ下1−11−22 鎌倉駅より徒歩15分 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|