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隆円(りゅうえん)は、関白藤原道隆の子。 母は高階貴子。 980年(天元3年)3月4日誕生。 伊周、隆家、一条天皇の皇后・定子、居貞親王(のちの三条天皇)に入内した原子、定子に仕えた御匣殿は同母兄弟姉妹。 幼い頃に出家して比叡山延暦寺で修行。 994年(正暦5年)には権少僧都となる。 1000年(長保2年)、姉の定子が崩御すると葬送に従い、大雪の中で、 「ふるさとにゆきも帰らで君ともに同じ野辺にてやがて消えなむ」 と詠んだのだという。 1007年(寛弘4年)、権大僧都に。 1011年(寛弘8年)、一条天皇の剃髪に奉仕し、埋葬の際には納棺に奉仕している。 1015年(長和4年)2月4日没(36歳)。 |
隆円の歌~姉藤原定子の葬送の際に詠んだ歌~ |
1000年(長保2年)12月16日の明け方に崩御した定子は、六波羅蜜寺に安置された後、27日、雪の中を鳥戸野(鳥辺野)へ葬送された。 葬儀を取り仕切ったのは、父の道隆に仕えた平惟仲だったのだという。 |
1011年(寛弘8年)6月22日に崩御した一条天皇の遺骨は東山の円成寺に安置された後、1020年(寛仁4年)6月16日に円融寺に改装された。 一条天皇の円融寺陵は龍安寺内にある。 |
清少納言の『枕草子』に登場する「僧都の君」は隆円のこと。 |
淑景舎(原子)が父道隆から譲り受けた笛の話を中宮(定子)にしていると・・・ 僧都の君(隆円)は自分の琴と交換してくれるよう頼む。 しかし、原子は無視。 それでも隆円は何度も交換してくれるよう頼むが、定子に 「交換はしたくないと思っているのでは?」 と言われてしまったのだとか。 |
「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」 清少納言が頭の弁(藤原行成)がよこした文に対して詠んだ歌。 僧都の君(隆円)は、この行成の文を拝んでまでも手に入れたらしい。 |
清少納言の歌~夜をこめて…藤原行成との贈答歌・逢坂の関~ |
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