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一条天皇は、円融天皇の第一皇子。 980年(天元3年)6月1日誕生。 母は藤原兼家の娘・藤原詮子(東三条院)。 諱は懐仁。 1011年(寛弘8年)6月22日、一条院で崩御(32歳)。 一条天皇は生前、土葬とすることと父・円融天皇の御陵あたりに埋葬されることを望んでいたが・・・ そのことを藤原道長が忘れていたため火葬され、遺骨は東山の円成寺に安置された後、洛西の円融寺に改葬された。 ただ、改葬されたのは、9年後の1020年(寛仁4年)6月16日のことだった。 |
一条天皇の火葬と埋葬 藤原彰子の歌~撫子を手に取る幼い我が子を見て詠んだ歌~ 一条天皇の遺詠歌と藤原定子の遺詠歌、そして源氏物語 |
円融寺は、円融天皇の勅願寺として創建され、花山天皇に譲位した円融上皇が居住した寺。 仁和寺の一院で、仁和寺の周辺には一条天皇の円教寺、後朱雀天皇の発願で後冷泉天皇のときに完成した円乗寺、後三条天皇の円宗寺があった。 |
円融寺は、円融天皇の崩御後は衰退し、平安時代末、その跡地は藤原実能の山荘となり、室町時代には細川勝元が龍安寺を創建している。 |
一条天皇は、鹿苑寺の北の巌陰で火葬されたのだという。 |
一条天皇が崩御した一条院は、生母・藤原詮子が所有した邸宅。 一条天皇の里内裏として使用され、藤原道長や中宮・藤原彰子の宿泊所もあったのだという。 彰子に仕えていた『源氏物語』の作者・紫式部も一条院に出仕していた。 |
一条天皇の遺骨が安置された円成寺は、889年(寛平元年)、藤原淑子が椿ヶ峰に建立した寺院だったのだと伝えられる。 哲学の道にある大豊神社は、円成寺の鎮守社だったのだという。 |
一条天皇が愛した皇后宮・藤原定子は、本人の希望により鳥辺野(鳥戸野)に土葬された。 |
一条天皇の父・円融天皇は、北原で火葬され、父・村上天皇陵の傍らに遺骨が葬られた。 |
龍安寺内には、一条天皇の第三皇子・後朱雀天皇の円乗寺陵や後朱雀天皇の皇后・禎子内親王の円乗寺東陵もある。 |
後朱雀天皇 円乗寺陵 |
禎子内親王 円乗寺東陵 |
京都市右京区龍安寺朱山 |
京都市右京区龍安寺御陵下町13 一条天皇の陵墓は、龍安寺内にある。 |
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