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円融天皇は、村上天皇の第五皇子。 母は右大臣・藤原師輔の娘・安子。 991年(正暦2年)2月12日、祈願寺の円融寺で崩御(33歳)。 遺体は円融寺の北原で火葬され、父・村上天皇陵の傍らに遺骨が葬られた。 藤原兼家の次女で円融天皇に入内した藤原詮子は、一条天皇を産んでいる。 |
円融院の子日の御遊と円融院葬送の歌~藤原朝光・藤原行成・藤原実方~ |
円融寺は、円融天皇の勅願寺として創建され、花山天皇に譲位した円融上皇が居住した寺。 仁和寺の一院で、仁和寺の周辺には一条天皇の円教寺、後朱雀天皇の発願で後冷泉天皇のときに完成した円乗寺、後三条天皇の円宗寺があった。 |
円融天皇の崩御後は衰退し、平安時代末、その跡地は藤原実能の山荘となり、室町時代には細川勝元が龍安寺を創建している。 |
一条天皇は、円融天皇の第一皇子。 1011年(寛弘8年)6月22日、一条院で崩御した一条天皇は、生前、土葬とすることと父の御陵あたりに埋葬することを望んでいたが・・・ 藤原道長は火葬を終えて金輪寺に埋葬することが決まってから、その事を思い出したのだという。 遺骨は東山の円成寺に安置された後、1020年(寛仁4年)6月16日に円融寺に改装された。 一条天皇の円融寺陵は龍安寺内にある。 |
大雲寺は、971年(天禄2年)、円融天皇が比叡山に行幸した際、紫雲がたなびいた聖地に創建された寺。 行基作という十一面観音は、大和国長谷寺の十一面観音と同じ霊木で彫られているのだという。 |
石清水八幡宮は平安京裏鬼門の守護神。 979年(天元2年)、円融天皇の行幸すると、以後、多くの天皇の行幸があった。 円融天皇の時代には、勅祭の石清水祭で舞楽を奏することなどが定められている。 |
石山寺は聖武天皇の勅願で創建された観音菩薩の聖地。 平安時代には石山詣が盛んに行われ、986年(寛和2年)、石山寺を参詣した円融法皇は、石山から船で打出浜に渡り、崇福寺を参詣したのだという。 紫式部が『源氏物語』を書き始めた寺。 |
清水詣・石山詣・初瀬詣~平安貴族が信仰した清水寺・石山寺・長谷寺~ |
『源氏物語』ゆかりの寺として知られる遍照寺は、989年(永祚元年)、円融天皇(花山天皇とも)が寛朝に命じて創建。 |
春日大社は藤原氏の氏神。 989年(永祚元年)、藤原兼家は一条天皇の春日行幸を行った。 円融法皇は反対したが、詮子の強い意向で実現したのだという。 |
京都市右京区宇多野福王子町 |
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