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長谷寺の本堂(観音堂)は、京都の清水寺の本堂(清水の舞台)と同じく断崖絶壁に懸造り(舞台造)された建物。 本尊の十一面観音を安置する正堂・相の間・礼堂からなる。 727年(神亀4年)、東大寺開山の良弁の弟子・徳道による創建と伝えられるが、1536年(天文5年)までに7回焼失。 1588年(天正16年)、豊臣秀長の寄進により再建された。 この年、秀長の招きで根来寺の学頭だった専誉が入山し、観音霊場としての復興が始められている。 ただ、現在の本堂は、1650年(慶安3年)、徳川家光の寄進で再建されたもの(国宝)。 西国三十三箇所の八番。 「いくたびも まいる心は はつせでら 山も誓いも 深き谷川」 御詠歌は、西国三十三所中興の祖といわれる花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌なのだという。 |
平安時代には、貴族による観音信仰が高まり、藤原道長をはじめ、宮中に仕えた紫式部・清少納言などの女流文学者が盛んに観音霊場を参詣した。 |
清水詣・石山詣・初瀬詣〜平安貴族が信仰した清水寺・石山寺・長谷寺〜 |
創建当初の十一面観音像は、徳道が近江国で譲り受けた楠の霊木で造立されたものと伝えられる。 長谷寺の十一面観音像は、右手に錫杖を左手に蓮華の花瓶を持ち、蓮華座ではなく平らな石(大磐石・だいばんじゃく)の上に立つ独特な像であることから「長谷寺式十一面観音」と呼ばれる。 現在の像は、1538年(天文7年)、東大寺仏性院の実清良学の作と伝わる。 高さ10メートル超で重要文化財。 |
鎌倉の長谷寺に伝えられる「長谷寺縁起絵巻」は、大和国長谷寺の草創と十一面観音造立の由来を描いたもの。 開基の藤原房前の援助を受けて徳道が十一面観音を造立し、行基によって開眼供養が行われたことなどが描かれている。 |
伝説によると・・・ 徳道が造立した十一面観音像は二体。 一体は大和国の長谷寺に置かれ、もう一体は海に流されて相模国の三浦半島に流れ着き、鎌倉に運ばれたのだという。 |
鎌倉長谷寺 |
観音堂 |
鎌倉の長谷寺は、736年(天平8年)の開創と伝えられ、開基は藤原房前、開山は徳道。 観音堂には大和国長谷寺の十一面観音と同じ長谷寺式十一面観音が安置されている。 |
紫式部ゆかりの京都大雲寺の本尊は行基作と伝わる十一面観音。 大和国長谷寺や鎌倉長谷寺の十一面観音像と同じ霊木で造立されたのだという。 |
大雲寺は、971年(天禄2年)、円融天皇が比叡山に行幸した際、紫雲がたなびいた聖地に創建された寺。 |
奈良県桜井市初瀬731−1 近鉄大阪線「長谷寺駅」下車 徒歩15分 |
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