鎌倉手帳(寺社散策)

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長谷寺の観音堂
〜木造十一面観音〜

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長谷寺観音堂


 長谷寺の本尊は、「木造十一面観音」。

 721年(養老5年)、開山の徳道の願いによって、稽文会(けいもんえ)と稽主勲(けいしゅくん)という二人の仏師が、一本のクスノキから二体の十一面観音像を彫り上げた。

 一体は奈良の長谷寺に安置されたが、もう一体は「有縁の地に出現して人々を救うように!」という願いから、行基によって海に投げ入れられたのだという。

 その観音像が15年後の736年(天平8年)、三浦半島の長井の浦に流れ着いたことから鎌倉に遷座され、長谷寺が創建されたのだと伝えられている。

 『相州鎌倉海光山長谷寺事実』によると、1200年(正治2年)、大江広元が長谷寺を再建。

 1264年(文永元年)には、北条時宗を奉行として維康親王が本堂を建立しているのだという。

 ただ、現在安置されている「十一面観音像」は、徳道の時代のものとは言い難く、室町時代以降の作と考えられているらしい。

 「十一面観音像」は、高さ9.18メートルで日本最大級。



 鎌倉時代の長谷には、地獄の情景を表す円応寺(新居閻魔堂)があった。
 長谷寺は、その円応寺と極楽浄土へと導く鎌倉大仏とともに浄土信仰に基づく情景を構成する寺院群の一つだったという説がある。



長谷観音の伝説









〜長谷寺式十一面観音〜

 長谷寺の「十一面観音像」は、右手に錫杖を左手に蓮華の花瓶を持ち、蓮華座ではなく岩座に立つという独特の像であることから「長谷寺式十一面観音」と呼ばれる。

 金箔は足利尊氏が施し、光背は足利義満が納めたと伝えられている。

 徳川家康は、関ヶ原に出陣する際に参詣し、その後、観音堂を修復したと伝えられている。


長谷観音


リンクボタン鎌倉と徳川家康〜関ヶ原の戦いと星ノ井・鶴岡八幡宮・長谷寺〜



 室町時代の作とされる「奈良長谷寺の草創と十一面観音造立の由来」を描いた『長谷寺縁起絵巻』は県の有形文化財に指定されている。


長谷観音
リンクボタン長谷寺縁起絵巻
奈良長谷寺の草創と十一面観音造立の由来。
長谷寺・懸仏
リンクボタン懸仏





長谷寺かきがら稲荷社
リンクボタンかきがら稲荷

 「十一面観音像」を長井の浦に導いたという「かきがら」を祀った稲荷社。


長谷観音の伝説





四万六千日
リンクボタン四万六千日
(観世音菩薩縁日)

 長谷寺は坂東観音巡礼の四番札所。

 8月10日の縁日に参詣すると四万六千日お詣りしたのと同じご利益があるとされている。



〜坂東三十三箇所〜

 坂東三十三箇所は、源頼朝の観音信仰と、源平の戦いで西国に赴いた武者たちが西国三十三箇所の霊場を観たことで、鎌倉時代初期の開設につながったのだといわれている。


リンクボタン観音信者だった源頼朝〜守り本尊は清水寺から授かった正(聖)観音像〜

リンクボタン観音浄土へ船出した下河辺行秀〜補陀洛渡海〜

リンクボタン坂東三十三観音〜神奈川県の札所〜

リンクボタン鎌倉観音巡礼



長谷寺納札塚
納札塚

 巡礼者は、祈願のために生国や氏名などを記した札を納めた。



長谷寺観音ミュージアム
リンクボタン観音ミュージアム

 観音ミュージアムは、長谷寺の本尊「観音菩薩」を主題とした博物館。





〜大和長谷寺〜

長谷寺
リンクボタン大和長谷寺
(奈良県桜井市)
長谷寺本堂
リンクボタン本堂
(観音堂)


 坂東武者が参考にした西国三十三箇所の開祖は、大和長谷寺鎌倉長谷寺を開いた徳道といわれている。

 観音堂の十一面観音像は10m超で、室町時代に東大寺仏性院の実清良学が造立したものと伝えられる。



徳道と花山法皇





〜京都にも同じ霊木で造立された観音像が・・・〜

 紫式部ゆかりの京都大雲寺の本尊十一面観音は、行基が大和国長谷寺鎌倉長谷寺の十一面観音と同じ霊木で造立したのだという。









長谷寺
リンクボタン長谷寺

736年(天平8年)の開創と伝えられる古寺。
本尊の十一面観音は木造では日本最大級の仏像で、坂東札所の第4番。


鎌倉市長谷3−11−2
0467(22)6300

江ノ電「長谷駅」から徒歩5分


江ノ電で鎌倉



長谷寺境内MAP
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