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円応寺(正式には「圓應寺」と書く。)は、死後に出会う十王を祀る寺。 建長寺の境外塔頭。 本尊の閻魔大王像は、閻魔大王に生き返らせてもらった運慶が彫ったと伝えられ、笑っているようにみえることから「笑い閻魔」と呼ばれる。 また、円応寺で赤ちゃんの名をつけてもらうと丈夫に育つということから「子育て閻魔」とも。 鎌倉彫刻屈指の優品とされる初江王坐像は、京都や奈良には見られない宋風を加味した鎌倉独自の地方様式を伝える(鎌倉国宝館に寄託)。 十王像のほか、鬼卒立像・檀拏幢(人頭杖)・倶生神坐像・奪衣婆坐像、智覚禅師坐像を所有。 |
鎌倉地蔵巡礼第8番札所(詫言地蔵) 鎌倉十三仏第5番札所(地蔵菩薩) |
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智覚禅師 |
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閻魔大王 |
鎌倉の臨済宗の寺 建長寺の塔頭 |
円応寺は1250年(建長2年)、長谷周辺(見越嶽)に創建されたと伝えられ、鎌倉西端の境界守護のため建立されたという説がある。 当時の境界には墓所が置かれ、その鎮魂のために十王や地蔵菩薩を安置する習慣があったという。 後に足利尊氏によって材木座に移されたのだ伝えられ、『新編鎌倉志』には「由比ヶ浜大鳥居の東南にある」と記されていることから海岸近くにあったことが確認されている。 1703年(元禄16年)の地震によって倒潰したため、翌1704年(宝永元年)に現在地へ移された。 |
※ | 円応寺(地獄)は、長谷観音(救済)・鎌倉大仏(極楽)とともに鎌倉の西方にあって浄土信仰に基づく情景を構成する寺院群の一つだったという説がある。 |
円応寺は新居閻魔堂と呼ばれ、長谷に建てられた後に材木座に移された。 |
死後、人間を初めとするすべての衆生は、仏が姿を変えた十人の王に出会い裁かれる。 |
初七日 (七日目) |
⇒ | 秦広王 (不動明王) |
二七日 (十四日目) |
⇒ | 初江王 (釈迦如来) |
三七日 (二十一日目) |
⇒ | 宋帝王 (文殊菩薩) |
四七日 (二十八日目) |
⇒ | 五官王 (普賢菩薩) |
五七日 (三十五日目) |
⇒ | 閻魔王 (地蔵菩薩) |
六七日 (四十二日目) |
⇒ | 変成王 (弥勒菩薩) |
七七日 (四十九日目) |
⇒ | 泰山王 (薬師如来) |
百か日 (百日目) |
⇒ | 平等王 (観世音菩薩) |
一周忌 (一年目) |
⇒ | 都市王 (勢至菩薩) |
三回忌 (三年目) |
⇒ | 五道転輪王 (阿弥陀如来) |
以下の裁判官が加わると「十三王」となる。 |
七回忌 | ⇒ | 蓮華王 (阿しゅく如来) |
十三回忌 | ⇒ | 抜苦王 (大日如来) |
三十三回忌 | ⇒ | 慈恩王 (虚空蔵菩薩) |
木造閻魔大王像は運慶作とも伝えらえる仏像(国重文)。 |
木造初江王坐像は、鎌倉彫刻中でも屈指の優品(国重文)。 現在は鎌倉国宝館に寄託されている。 |
倶生神坐像二躯 (国重文:鎌倉国宝館に寄託) 木造鬼卒立像一躯 (国重文:鎌倉国宝館に寄託) 木造檀拏幢(人頭杖)一基 (国重文:鎌倉国宝館に寄託) 木造奪衣婆坐像(国重文) 木造十王像八躯 木造人頭杖 (鎌倉国宝館に寄託) |
※ | 2020年(令和2年)、奪衣婆坐像が国重文に指定され、附指定だった鬼卒立像と檀拏幢が本指定された。 |
木造地蔵菩薩半跏像は、鎌倉二十四地蔵の一つ「詫言地蔵」(わびごとじぞう)と呼ばれている。 |
智覚禅師(桑田道海・そうでんどうかい)は、円応寺の開山。 |
円応寺の閻魔大王像 (笑い閻魔) 円応寺の閻魔大王像 (子どもを呑み込んだ閻魔大王) 詫言地蔵 |
山ノ内道の散策 禅〜自身で開く悟り:鎌倉新仏教〜 |
鎌倉市山ノ内1543 北鎌倉駅から徒歩15分 |
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