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円応寺の木造閻魔大王像は、国の重要文化財に指定されている仏像。 鎌倉時代、寄木造。 像高187.5p 頭部は鎌倉時代のものであるが、その他は江戸時代のものと考えられている。 頭部がやや大振りで誇張された忿怒は力強いもの。 円応寺で赤ちゃんの名をつけてもらうと丈夫に育つということから「子育て閻魔」とも呼ばれている。 |
重病となり仮死状態となった仏師運慶は・・・ 三途の川を渡り、初七日の秦広王の裁判、14日目の初江王の裁判、21日目の宋帝王の裁判、28日目の五官王の裁判を経て35日目の閻魔大王の裁判を迎えた。 閻魔大王の裁判では、生前の行いによって天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道のうち、どこに生まれ変われるかが決定される。 閻魔大王は運慶にこう言った。 「お前が娑婆でやさしい面相の仏像ばかり作るから、亡者が地獄にやってきても腰抜けばかりでろくな奴がおらん。 もっと娑婆で悪人ばらを改心させてわしに手数をかけないようにしてもらいたい。 お前をもう一度娑婆に帰してやるから、わしの姿に生き写しの閻魔王像を刻んで人間たちによく見せろ。 そうすれば、悪人が改心して人間社会が良くなるはずじゃ。 わかったらさっさと帰れ」 こうして娑婆に帰った運慶が彫ったのが、円応寺の閻魔大王像だと伝えられている。 生き返ることができて嬉しかった運慶は、閻魔大王像を笑いながら彫ったので、像もどことなく笑っているように見えることから、「笑い閻魔」と呼ばれている。 |
円応寺の閻魔大王が由比ヶ浜にいた頃の伝説。 ある日、病気の子どもを連れた父親が、閻魔大王に願いを叶えてもらうため、「聞こし召し下さい(「お聞き入れ下さい」の意。)」と手を合わせ、「あとで迎えにくる」といって子どもを置いて帰ってしまった。 一方の閻魔大王は「お召し上がりください」といって子どもを置いていったと勘違いし、子どもを呑み込んでしまったそうだ(参考:新居閻魔堂址)。 |
日々の生活の中で知らず知らずのうちに犯してしまう罪。 たとえば・・・ 他人に迷惑をかけた、ケンカをしてしまった、傷つくような言葉を発した など。 犯してしまった罪は、閻魔大王の前で「懺悔文」(ざんげもん)を三度唱えると許してもらえるのだという。 我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞうしょあくごう) 皆由無始貪瞋痴 (かいゆうむしとんじんち) 従身口意之所生 (じゅうしんくいししょしょう) 一切我今皆懺悔 (いっさいがこんかいさんげ) |
中国唐の時代の十王信仰では、人間の生死・寿命や死後の審判を司る神・泰山府君が十王信仰の一人となる。 泰山府君は仏教の閻魔大王に相当する神。 日本に伝えたのは比叡山の円仁といわれ、泰山府君を祀る京都の赤山禅院は円仁の遺命で建立された。 陰陽道では最高神とされ、安倍晴明は泰山府君祭を始めている。 やがて、神仏習合の中で十王信仰が取り入れられ、泰山王と呼ばれるようになったのだとか。 七福神の一人・福禄寿は泰山府君の別の姿といわれる。 |
円応寺は、死後に出会う十王を祀る寺。 特に「初江王坐像」は、京都や奈良には見られない宋風を加味した鎌倉独自の地方様式を伝える。 |
鎌倉市山ノ内1543 北鎌倉駅から徒歩15分 |
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