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長谷寺(はせでら)は、736年(天平8年)の開創と伝えられ、「長谷観音」の名で親しまれている(奈良の長谷寺に対し「新長谷寺」と呼ばれていた。)。 開山の徳道の願いによって一本のクスノキから彫られたという本尊の「木造十一面観音像」は、高さ9.18メートルで日本最大級。 ただ、長谷寺が天平の昔からあったという記録はなく、梵鐘の銘文から鎌倉時代後期の建立ではないかと考えられている。 1年を通じて季節の花が楽しめる寺として人気で、特に6月の眺望散策路(あじさい散策路)に咲く「アジサイ」は必見。 海の見える寺としても知られ、見晴台や眺望散策路からは由比ヶ浜の海が一望できる。 12月には、鎌倉ではここだけとなった「歳の市」が開かれている。 |
※ | 近年では、西大寺流律宗と長谷観音信仰の関係が指摘されており、極楽寺の忍性との関係も注目されている。 |
※ | 鎌倉時代の長谷には、地獄の情景を表す円応寺(新居閻魔堂)があった。 長谷寺は、その円応寺と極楽浄土へと導く鎌倉大仏とともに浄土信仰に基づく情景を構成する寺院群の一つだったという説もある。 |
※ | 裏山には鎮守社の五社明神が鎮座していたが、甘縄神明神社に合祀されている。 |
鎌倉観音巡礼第4番札所 (十一面観世音) 鎌倉・江の島七福神 (大黒天) |
開山 | 徳道 |
開基 | 藤原房前(藤原鎌足の孫) |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
開基の藤原房前は藤原氏の始祖・藤原鎌足の孫。 房前を祖とする家系が藤原北家。 真楯→内麻呂→冬嗣→長良→基経→忠平→師輔と続き・・・ 摂関政治の全盛を築いた兼家・道隆・道兼・道長へと繋がっていく。 甘縄神明神社を創建したという染谷時忠も鎌足の子孫とされる。 |
かつて長谷寺は、建長寺の塔頭宝珠院の支配下にあったといわれ、観音ミュージアムに収蔵されている徳道上人坐像は禅文化展開の一側面を今に伝えるもの。 |
坂東三十三箇所は、源頼朝の観音信仰と、源平の戦いで西国に赴いた武者たちが西国三十三箇所の霊場を観たことで、鎌倉時代初期の開設につながったのだといわれている。 長谷寺は四番札所。 |
大和国長谷寺(奈良の長谷寺)は、東大寺開山の良弁の弟子だったという徳道が聖武天皇の勅命により開いたと伝えられる寺。 平安中期には初瀬詣(長谷寺詣)が盛んになり藤原道長が参詣。 道長の時代に活躍した女流文学者の菅原道綱母・清少納言・紫式部・赤染衛門・菅原孝標女も参詣した。 坂東武者が参考にした西国三十三箇所の開祖は徳道といわれ、花山法皇が中興したのだと伝えられている。 |
清水詣・石山詣・初瀬詣〜平安貴族が信仰した清水寺・石山寺・長谷寺〜 観音信者だった源頼朝〜守り本尊は清水寺から授かった正(聖)観音像〜 観音浄土へ船出した下河辺行秀〜補陀洛渡海〜 坂東三十三観音〜神奈川県の札所〜 童謡・唱歌「鎌倉」に歌われた寺 |
観音堂・十一面観音など、長谷寺の境内をご案内。 |
長谷寺縁起絵巻
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懸仏 |
関ヶ原の戦いに出陣する徳川家康は、長谷寺で戦勝を祈願したのだとか・・・ |
鎌倉と徳川家康〜関ヶ原の戦いと星ノ井・鶴岡八幡宮・長谷寺〜 |
四万六千日は観音さまの縁日。 8月10日の長谷寺は午前4時開門(午前8時まで自由拝観)。 本尊御姿の御札が配られます。 かつて、三浦半島の人たちは、 杉本観音(杉本寺)、 長谷観音(長谷寺)、 田代観音(安養院)を巡った後、逗子の岩殿観音(岩殿寺)を巡って帰るのが順路となっていたらしい。 |
「長谷の市」は、長谷寺をメイン会場として、春(4月)と秋(10月)に開催されるイベント。 |
長谷寺のアジサイ |
観音山霊験記 |
6月の観音山は、2500株を超えるアジサイが咲く七色浄土の世界! |
寺まんじゅう |
お寺のカレー |
大吉ダンゴ |
見晴台や海光庵で海を眺めながら食事。 |
和み地蔵 |
良縁地蔵 |
長谷寺からは海が見えます。 |
鎌倉の海 鎌倉:海の見える寺 |
鎌倉市長谷3−11−2 0467(22)6300 江ノ電「長谷駅」から徒歩5分。 |
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