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長谷寺に伝えられている『長谷寺縁起絵巻』は、奈良長谷寺の草創と十一面観音造立の由来を描いたもの(上・中二巻のみで下巻を欠いている。)。 延宝年間(1673〜1680年)に長谷寺を中興した法誉弁秋(ほうよべんしゅう)によって寄進された(県指定文化財)。 室町時代のもので、菅原道真が「長谷寺縁起文」を執筆する場面から始まり、開基となる藤原房前の援助を受けて徳道が十一面観音を造立し、行基によって開眼供養が行われたことなどが描かれている。 残念ながら、この絵巻には鎌倉の長谷寺の記述は見当たらない。 同じく長谷寺に伝えられている「長谷寺縁起文」は、1388年(嘉慶2年)に書写されたもので、奈良長谷寺の本山だった興福寺の記載もあるという。 『長谷寺縁起絵巻』は観音ミュージアムに収蔵。 |
観音堂に安置されている「十一面観音像」は、開山の徳道が楠(くすのき)の霊木を手に入れ、稽文会(けいもんえ)と稽主勲(けいしゅくん)という二人の仏師に彫らせた二体の観音像のうちの一体。 もう一体は奈良の長谷寺に安置されたのだと伝えられている。 参考までに・・・ 紫式部ゆかりの京都大雲寺の本尊十一面観音は、行基が奈良の長谷寺や鎌倉の長谷寺の十一面観音と同じ霊木で造立したのだという。 |
大和国長谷寺(奈良の長谷寺)は、東大寺開山の良弁の弟子だったという徳道が聖武天皇の勅命により開いたと伝えられる寺。 平安中期には初瀬詣(長谷寺詣)が盛んになり藤原道長が参詣。 道長の時代に活躍した女流文学者の菅原道綱母・清少納言・紫式部・赤染衛門・菅原孝標女も参詣した。 坂東武者が参考にした西国三十三箇所の開祖は徳道といわれている。 |
清水詣・石山詣・初瀬詣〜平安貴族が信仰した清水寺・石山寺・長谷寺〜 |
736年(天平8年)の開創と伝えられる古寺。 本尊の十一面観音は木造では日本最大級の仏像で、坂東札所の第4番。 |
鎌倉市長谷3−11−2 0467(22)6300 江ノ電「長谷駅」から徒歩5分 |
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