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西国観音霊場巡礼は、大和国長谷寺を開いた徳道が仮死状態となった際に地獄で閻魔大王のお告げを受けて三十三所を定めたのだと伝えられる。 |
長谷寺 (桜井市) |
法起院 (桜井市) |
長谷寺は、徳道が開いた西国三十三所の根本道場。 法起院は徳道を祀る長谷寺の塔頭。 |
鎌倉の長谷寺に伝えられる「長谷寺縁起絵巻」は、大和国長谷寺の草創と十一面観音造立の由来を描いたもの。 |
718年(養老2年)、病の徳道が生死をさまよっていると・・・ 閻魔大王が夢の中に現れ、悩める人々を救うよう告げられ、観音霊場三十三ヶ所の宝印を授けられた。 しかし、当時は観音巡礼を行うため街道も整備されていなかったことから、人々には受け入れられず、仕方なく宝印を摂津国の中山寺の石棺に納めたのだという。 |
中山寺 (宝塚市) |
石の櫃 (中山寺の石棺) |
中山寺は源頼朝も信仰した我が国初の観音霊場。 宝印が納められた石棺は白鳥塚古墳の石の櫃。 |
それから約270年後・・・ 那智山青岸渡寺で修行をしていた花山法皇は、熊野権現のお告げを受けて徳道が宝印を納めた石棺を中山寺で探し出し、三十三の観音霊場を巡礼。 そのため、花山法皇は西国観音霊場三十三所の中興の祖と呼ばれている。 西国三十三所の御詠歌は、花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌なのだとか。 |
大和国長谷寺は第8番札所。 「いくたびも まいる心は はつせでら 山も誓いも 深き谷川」 |
興福寺の南円堂は第9番札所。 「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲」 |
三室戸寺は第10番札所。 「夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波」 |
石山寺は第13番札所。 「後の世を 願うこころは かろくとも ほとけの誓い おもき石山」 |
園城寺(三井寺)は第14番札所。 「いで入るや 波間の月を 三井寺の 鐘のひびきに あくる湖」 |
今熊野観音寺は第15番札所。 「昔より 立つとも知らぬ 今熊野 仏の誓い あらたなりけり」 |
清水寺は第16番札所。 「松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は すずしかるらん」 |
六波羅蜜寺は第17番札所。 「重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば」 |
六角堂は第18番札所。 「わが思う 心のうちは 六の角 ただ円かれと 祈るなりけり」 |
行願寺(革堂)は第19番札所。 「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」 |
中山寺は第24番札所。 「野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため」 |
元慶寺は、花山法皇が出家した寺。 そのため番外寺院となっている。 |
花山院菩提寺は、花山法皇が隠棲した地。 そのため番外寺院となっている。 「有馬富士ふもとの霧は海に似て 波かときけば小野の松風」 |
花山法皇廟 |
十二妃の墓 |
花山院菩提寺の境内には花山法皇の御廟がある。 麓には、花山法皇が寵愛していた藤原忯子と、仕えていた11人の女官の墓がある。 |
鎌倉の杉本寺の本尊は・・・ 731年(天平3年)の行基作の十一面観音、851年(仁寿元年)の慈覚作という十一面観音、 そして、寛和年間(985~987年)に花山天皇の発願によって恵心が彫ったという十一面観音の三体(三尊同殿)。 |
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